2014年7月3日木曜日

クマのプーさん

しばらく前に、karatさんが、『クマのプーさん』をご自身のブログにUPしていらっしゃいました。それを見て、我が家にあるはずの本、『クマのプーさん』が、本棚の見えるところには並んでないことに気がつきました。
私もプーさん好きですが、とてもkaratさんのプーさん好きにはかないません。
 
それからしばらく経って、facebookで、topcatさんが、お友だちからもらったという、ディズニーランド土産の、プーさんのお菓子をUPしていました。
 

黄色くて赤いベストを着たプーさん(と呼ぶもの)を、私は一度も「プーさん」と認めたこともなければ、関心を寄せたこともありませんでした。
でも、巷には本物の「クマのプーさん」よりこちらの「くまのプーさん(とひらがなで表記するらしい)」の方が出回っていて、ユーフォーキャッチャーの中に縫いぐるみがあったり、駐車中の車の中に縫いぐるみが飾られたりしているのを見ることがあります。

これがtopcatさんでなければ、
「ふんっ」
と、あっさり見過ごすところですが、若いとはいえ、「本物」に造詣の深いtopcatさんと、ディズニーのプーさんの組み合わせには、たかがお友だちからのお土産のお菓子の話ではありますが、なんだか違和感を覚えました。
そこで、老婆心を発揮して、本物の『クマのプーさん』を知っているかどうか、たずねてみました。
なんと、topcatさんは知らなかったのです!!!!!

 
我が家では、スペースのわりに本の数が多いので、本棚は奥行きを持たせて二重に入れられるようになっています。しかも、高いところの本棚もあり、大きい脚立を持って来ないと見ることもできません。
ただ、高いところにあっても一部は、二階に行き、手前の本を引き出して奥の本をの前後逆さにしてみれば、何の本か知ることができます。
ちょっとさがしてみたら、思っていたより簡単に『クマのプーさん』と『プー横町にたった家』(A.A.ミルン作、石井桃子訳、ともに岩波少年文庫)が見つかりました。


まだどこかに、この二冊分が一冊に収められている古い単行本の『クマのプーさん』と、バンコクに住んでいた頃に手に入れた、ペンギンブックスの『Winnie-the-Pooh』があるはずですが、それをさがすには、もっと時間が必要です。



A.A.ミルン(1882-1956)作の『クマのプーさん』 は、イギリスで1926年に発表されました。
ミルンの息子のクリストファー・ロビン・ミルン(1920-1996)と、彼の縫いぐるみたちのものがたりで、発表当初から挿絵はE.H.シェパードが描いたものでした。


クマのプーさんの物語とE.H.シェパードの挿絵は不可分のものと思われますが、1960年代からディズニーによって一連のアニメーション作品がつくられ、似ても似つかぬプーさんが世間に定着しました。


例えば『赤毛のアン』なら、もともと挿絵がないので、挿絵が入った版やアニメーションを見たとき、それを自分が受け入れるか受け入れないか、人それぞれに判断できます。
アン風に言えば、どのアンを受け入れるか、受け入れないか、「想像の余地」が残されています。


ところが、『クマのプーさん』や『ドリトル先生』シリーズ、『大きな森の小さな家』シリーズなど、挿絵が最初からある場合はどうでしょう?
しかもその挿絵がまたとないほどぴったりしたものだったらどうでしょう?
到底、他のものは受け入れることができません。


私にとっては、『クマのプーさん』と『くまのプーさん』(ディズニー版)、『Winnie-the-Pooh』とWinnie the Pooh』(ディズニー版)は、後者は見たこともありませんがまったく別物です。
全くの別物ですから、これまでなんとも思わなかったのですが、原作を知らない人が増えているなら、とても寂しい気持ちがします。
 

プー、 コプタ、カンガとルー、イーヨーなどは、全部クリストファー・ロビンの縫いぐるみたちでした。


A.A.ミルンが、息子の実名で物語を書いたため、クリストファー・ロビンはその後の生涯において、人々が求めるクリストファー・ロビン像と、現実の自分とのギャップに苦しみました。

しかし、晩年はその問題を乗り越えたのか、実名で、『クマのプーさんとぼく』(晶文社、日本語版は1979年)という自伝的な本を著わしています。
この本も持っているのですが、すぐには出てきません。


久しぶりに読み返してみましょうか。
見つかった本は、子どもたちのために買った本で、私の本は古い単行本ですから、まず見つけるのが先決なような気がします。
やれやれ。
きっと、手の届かない棚の、しかも奥にあるのでしょう。



4 件のコメント:

karat さんのコメント...

おはようございます。
原作の絵はいいですね。なつかしい。
原作のプーさんはちょっと理屈っぽくて全体的に哲学的な趣というか、言葉の「あや」もおもしろかったのですが…。(アニメの方は見たことがないのでわかりませんが。)
 でも、原作の方を知らないって、…確かに有りえるかもしれないですね。今は赤ちゃんの紙おむつにもプーさんがプリントされてますから、生まれた時から目にするのはアニメバージョンの方でしょうね。
 かくいう私もムーミンの原作の方の絵は知らないです (^^;) 。

kuskus さんのコメント...

春さん
赤いチョッキのプーさんには私もがっかりしていました。
私の本は22、3才の頃、旅で知り合った友達が家へ遊びに来た時にモーリス ドリュオンの『みどりのゆび』と
一緒にをおみやげにくれたものです。
どちらも愛読書となって、特にプーさんは小さい版を
買って旅の友に連れ歩いたものでした。
物語もですが、挿絵のすばらしさがこの本をより魅力的なものにしてくれていますよね。
赤いチョッキのプーさんには、原作のプーさんの
人柄(くま柄?)が感じられません。
アニメのプーさんで育った子たちのほんの一握りでも
いいから、この愛すべき本に出逢って欲しいですね。

さんのコメント...

karatさん
私もディズニーのプーさんは縫いぐるみなどで見るだけで、お話は知りません。ただ、どうしてあれを愛でる人がいるんだろうとは思っていました。でも、浸透しているのですね。
ディズニーのプーさんにはまるで哀愁というものが漂っていません。A.A.ミルンが亡くなったあとで起こったこととしても、残念でした。
ただ、ルパン三世なんかは、モンキー・パンチの原作よりずっとアニメの方が可愛かったりして(笑)。ディズニーもせっかくコピーするなら、原作を超えるほどのものをつくって欲しかったです。

さんのコメント...

kuskusさん
私もプーさんには学生時代に出逢いました。同級生の一人が、いつでもどこでも重いプーさんの本を抱えていて、プーさんの話しかしない時期があり(笑)、そんなにおもしろいならと買って読んだのが最初でした。
青春時代ですから、イングマール・ベルイマンの『沈黙』やアンジェイ・ワイダの『灰とダイヤモンド』を観て論じたり、カミユの『異邦人』を読んだり、『クマのプーさん』に感動したり、いろいろしていました(笑)。
本当に素敵な絵だと思います。石井桃子の訳も素敵で、「ピグレット」を「コプタ」とするなんて、可愛過ぎます。
赤いチョッキのプーさんは、これまで関係ないと無視してきましたが、それによってプーさんの話が世間に広く知られたとしても、あれは別ものですから、確かに多くの人たちに原作に出逢って欲しいですね。