2014年10月13日月曜日

石岡市街散歩


『閑古堂の絵葉書散歩、東編』(林丈二著、小学館、1999年)という本があります。
路上観察学会員であり、牛乳の紙蓋や、靴裏の溝に詰まってついてきた石など、いろいろなもののコレクターである林さんが、自分のコレクションである古い絵葉書に写っている土地に出かけて行って絵葉書と今とを比べたり、ついでにそのあたりを見て歩きまわるという、楽しい旅の本です。

その中に、「筑波山麓に波ウサギを追う」という項目があって、このあたり、石岡、土浦、鹿島などを歩かれたときの、写真が載っています。

波の文様は、建物の防火を願って使うもので、瓦の飾りや、欄間の木彫りなどによく見られます。
しかし、波にうさぎを加えるということは、いったいどこから発想されたのか?そのことに、林さんはこだわっていらっしゃいます。
『閑古堂の絵葉書散歩』の文は、もともと雑誌『サライ』に連載されたものです。
連載当時、林さんが波ウサギに関心を持っているということを知ると、全国から情報が寄せられたそうで、それによると、波ウサギの文様は、全国的に広く見られることがわかりました。
そして、昔から沖に白波が立つような日には、猟師さんが、
「うさぎが走っている」
と言う地方があるという情報が寄せられたことによって、林さんの中で波とうさぎが結びついたのです。


さて、出かける予定があった日に、いつもは素通りの石岡の街で、『閑古堂の絵葉書散歩』に載っている神社に、ちょっとだけ足を留めて、うさぎを見てみようと思いました。

まず、若宮八幡宮です。
朝でしたが、大勢の人たちが集まって飾りつけをしていました。境内をきれいに掃き清め、笹を立て、提灯をぶら下げ、幟も立ててと、大忙しです。


「お祭りですか?」
「そう、明日ね」
小さな、小さな境内で、立っているだけで邪魔になるので、ここは早々に切り上げました。


若宮八幡宮には、うさぎの彫りものもあるはずですがさがし出せず、波だけの彫りものを見ました。


次は、大通りに面した金刀比羅宮です。
隣の空き地で立ち話をしている人たちの声が聞こえるほど、やはり小さな境内で、波ウサギならぬ大黒さまとうさぎはすぐ見つかりました。
うさぎは、招き猫のように手をあげ、大黒さまに諭されて涙をぬぐっているようにも見える、面白い姿でした。
それにしても、古い市街地の中とはいえ、小さな神社、小さな境内ばかりです。

さて、うさぎはこれくらいにして、せっかく石岡の街に足を留めるなら、以前から気になっていた建物を見たいと思っていました。
「砂糖店」です。
通りを車で通って「砂糖店」の看板を目にするたびに、
「砂糖だけを商って大きな店を建て、家族が生活できたのは、いったいいつ頃までだったんだろう?」
と関心を寄せていました。
市街地にはお菓子屋さんも数軒ありますが、お菓子屋さんに砂糖を卸すだけでなく、砂糖が結納や結婚祝いなど、高級な贈答品として広く使われていたのでなければ、砂糖店は成立しなかったことでしょう。

砂糖は半世紀くらい前までは、お歳暮やお中元の主要商品の一つでした。
5キロ、10キロと贈り合うことは、珍しいことではありませんでした。
 

これは、夫の母が乾物入れとして使っていた缶ですが、もともとは砂糖の缶でした。


SUGERとわざわざ文字まで入れています。


しかも、大手デパートで扱われていたのです。

また、その当時は、コーヒーや紅茶にほとんどの人が砂糖を加えて飲んでいました。そのため、料理用の砂糖とともに、角砂糖も贈答品としてよく使われていました。
贈答品として砂糖が使われた時代の終わりごろには、色がついて松竹梅などに型抜きした角砂糖もありました。

きっと、人のつき合いが濃密な、言いかえれば面倒くさい土地柄だからこそ、砂糖店が砂糖の商いだけで、存続できたに違いありません。

その砂糖店が、何故か見つかりません。
あったはずの通りを行って、そして戻ってもありません。しかたなく、一軒のお店でたずねたら教えてくださった建物は目の前にありましたが、「砂糖店」の看板は見えませんでした。
 

「砂糖店という看板のあるお店もありますか?」
「さあ、砂糖屋はここだけだけれど、看板があったかどうか」
となると、私が見た看板は、今は固く閉ざされたシャッターの中にあるのでしょうか。


家の前には、「福島屋砂糖店」と彫られた案内板が立っています。
シャッターが閉められた間口のど真ん中には、自動販売機がでんと置いてあります。
町起こしの一環かなにかで、再びこの建物が違う使い方をされる時がこない限り、シャッターは二度と開きそうにありませんでした。



2 件のコメント:

Bluemoon さんのコメント...

春さん、こんにちは。
波とうさぎは大国主のお話からと思っていましたが漁師さんと白波なんですね。きれいな思いつきですよね。
小学生の頃、近くの祖父母宅に行くと、決まって曾祖母の部屋で遊んでいました。よく気が合いました(笑) おやつが出てくるのはこの砂糖缶からでした。曾祖母に頼まれて砂糖缶の蓋を開ける時は、何をもらおうかなとワクワクでした。いろんものが入っていましたので。とても懐かしくて。抱えて缶の蓋を開けたいです。

さんのコメント...

Bluemoonさん
同じ缶をご存じだったのですね♪砂糖は5キロ入っていたのだと思いますが、もしかしたら10キロかもしれません。それが贈り物として普通の時代があったなんて、ちょっと信じられませんね。
夫の母は乾物を、私も以前はお菓子を入れていましたが、今は開封したドッグフードを袋のまま入れています。猫と糖コントロールの犬は別の缶で、大きさもだいたいそれぞれの袋に合わせています(笑)。
開けやすい、いい缶です。