「あそこの店に、マトリョーシカがありましたよ」
と、小さな店を指さします。
「私も見た。でも知らないお店ってとっつきにくくって」
「そういえば、あそこにセルロイドのナイフがあったのは見た?」
「そんなの置いてあった?」
彼女に比べると、私は何でもざっとしか見ていません。
私たちは話しながらその店に近づき、しゃがみ込んでボン・ナイフを手に取りました。
「わぁ、きれいなセルロイドねぇ」
どれもきれいな模様のセルロイドで、鈴もついていて可愛いのですが、もうセルロイドのボン・ナイフはいりません。
私はナイフを置いて、セミョーノフのマトリョーシカを手に取ってみました。
底に張ってある値札を見たら、お値段も妥当なものでした。
なんとなく、マトリョーシカを一つずつ開けて、小さいのを中にしまいながら、まだボン・ナイフの話を続けていました。というのも、私たち二人は、年はそう違わないと思われるのですが、小さい頃に鉛筆を削っていたナイフのイメージがずいぶん違うのです。彼女は肥後の神だってぇ?私はボン・ナイフです。その違いはいったいどこから来たのでしょう?
そこへ、突然まこと屋さんがやってきました。
「ねえ、ねえ。買ってやってよ。この人さぁ、東京からこの箱さげてやって来たんだよ」
「えっ?」
見ると、大きな車つきのかばんが置いてあります。シートに広げている品物が少ないのは、そのかばんに入るだけ持ってきた、というわけでした。
「前からここの骨董市に出たいって言っててさぁ、よしなよって言ったのに、昨日は友部のホテルに泊まって、そこからタクシーで来たんだよ」
「ええっ、それじゃあ全部売れても採算がとれないんじゃないの?」
「でしょう。だから反対したのに」
まことさんにそんなことを言われても、店主の女性はにこにこしています。
「私、このマトリョーシカいただくつもりなんだけど」
「そう、嬉しいねぇ。ありがとう」
お礼を言っているのはまことさんです。
小さな小さな蓮華もいただきました。
手触りもいいし、裏についているぽちぽちが、何ともいえず可愛いのです。
あとで、まこと屋さんの前を通ると、まことさんのお連れ合いにまで、「買ってくれてありがとう」と言われてしまいました。
骨董屋さんって、やっぱり面白い人が多いなぁと思ったことでした。
そのセミョーノフのマトリョーシカ(前列左)には、「MADE IN USSR」という印は押してありますが、製造年は記載されていません。
小さいこと、バラが八重であることから、そう古いものではないということだけわかります。
『マトリョーシカ ノート3』を見ると、このスタンプのあるセミョーノフのマトリョーシカは、1970年代のもののようです。
マトリョーシカは、一般的には年代が若くなるにつれてサイズが小さくなっていったようですが、後列のものに比べると、半分もない大きさです。
蓮華はさっそく、溶いた辛子の匙として使ってみましたが、ちょっと大き過ぎました。
三つ豆やあんみつにちょうどいい大きさのようです。そう思って、久しぶりに寒天を煮ました。
ヨーグルトにもぴったりでした。
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