骨董市で、またまた、玩古さんの親父さんが、置き薬の箱を持っていました。どうしようかなぁ、引き出しは役に立つけれど、もうあまり入れるものもないと、しばし考えたけれど、また買ってしまいました。
外枠は木でできていて、引き出しは紙でできています。
氷見薬品という会社が置いていったようですが、住所は富山ではなくて、埼玉県の川越です。ネットで検索してもその会社を見つけることはできませんでしたが、氷見が富山の地名ですから、川越の氷見薬品は出先だったのか、取次店だったのか、いずれにしても富山とつながりがあったのでしょう。
箱は目立つ色で、きっぱりしています。
正面から見た右には、「キキメ第一」と書かれて、
左側面には、「ヨクキクヨ」と書かれています。どちらから読んでもヨクキクヨ、ちょっとおしゃれです。
引き出しを開けると、まだ薬のにおいが残っていました。
引き出しの底には、「御預ケ薬控」が重ねて糊づけしてあり、数えてみると4枚ありました。古い2枚はしっかり貼りついていて見ることができませんでしたが、3枚目に昭和41年(1966年)に置いたと記されています。
置いていった薬は、トンプク、ケロリン、はら薬、仁丹、メンターム、サーチパス、オロナイン、サビオなどでした。
ほかに、清算書も入っていました。
昭和47年(1972年)の清算書で終わっています。
二階展示室の大きく仕切った棚の、下三段には、置き薬の箱が置いてあります。
もう一つ置くなら、この一番上の段でしょう。
メキシコの観覧車が幅を取っていて、ほんのちょっと幅が足りません。
ハンドルが出っ張っているので、試しにハンドルのついてない方を壁につけると、ぎりぎりで入りました。
その上に、やはりメキシコの生命の樹を置くこともできました。
これで、四段すべてに置き薬の箱が収まりました。
最上段の薬箱が右に置いてあるのだから、下も右に置き換えた方が、ちょっとはすっきりするかもしれません。
棚は、きれいに並べたというより、ぎゅうぎゅうに詰め込んだ感が否めません。
「みなさま、もう少々中にお詰めください」
「もう無理だね」
の、満員電車状態になっています。
さて、薬箱の引き出しに何かをしまったら、少しだけすっきりするでしょうか。
6 件のコメント:
時々、この展示室の写真をブログで拝見するたびに、わー!すごいなあ、じっくり見たいなぁー…という思いと、もう一つ、「聞いていいかな?これ、掃除が大変だろうなぁー…」という心配が(他人事ながら…(^^;))。埃とか積もらないですか?うちの小さな棚でさえ埃が積もって、掃除が面倒…。
こう言う物を見るとわくわくしますね
山の実家にありました。
この時代はまだ電話が普及していませんが
農協からの連絡事項が各家庭に取り付けたスピーカーに
流れていました。
私の時代は四角い紙袋で
斜めに柱などに吊り下げてありました。
karatさん
埃?積もってますよ!(笑)。
でも、一度に全部とはいきませんが、何かあるたびに部分的に掃除しています。例えば、クリスマス飾りのために何か探していて、埃が目に付いたらそのあたりのものをお盆に乗せて外に連れ出して、一つずつ筆のようなブラシでほこりを払って、棚は雑巾で拭いてやるといった具合に。
土人形とか張り子なんかは濡れ雑巾で拭くわけにいかず、だんだん古びてしまいますが、かといってどれも箱にしまって押し入れに入れるという気持ちにはなりません。骨董屋のまことさんがうちの人形たちを見て、「ここの人形たちは幸せそうだねぇ」と言ってくれましたが、確かに一緒に暮らしている気分です(^^♪
昭ちゃん
地域によって置き薬の入れ物は違うのですが、四角い紙袋は初耳です。私が小さいころは、紙でできた、状差しのようなものでした。一段だったか、二段だったか、そのあたりは覚えていませんが、仏壇のわきに掛けてありました。
薬屋さんが来ると、四角い紙風船をくれました。1972年までも続いていたのですね。そのことにびっくりです。
春姐さんさすが大正解!!!
薬臭い四角い紙風船で姐さんの記憶に有るほど
私の時代から受け継がれているのですね。
何か黒い塊が「クマの胃」とか、、、
昭ちゃん
わぁ、熊の胆は知っているけれど、置き薬にはそんな高価なものはなかったと思います。転売しちゃいそう(笑)。
せいぜい、ワームとか、頭痛にノーシンとか、それくらいでした(^^♪
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