2020年4月26日日曜日

湘南の貝細工

コケーシカのネットショップで、貝細工のデッドストックを売っていました。
貝細工なら興味津々、二つばかり注文しました。


届いてびっくり、あれっ、デッドストックだったよね、とまじまじ見てしまいました。
コケーシカが、貝細工専用の箱とパンフレットをつくっていて、すっかりコケーシカ色に染まっています。


付属のパンフレットを読むと、貝のお嬢さんたちは、昭和30年代まで、江の島、鎌倉、葉山の周辺で盛んにつくられ、輸出されていました。
小さな工房でつくられていたのか、あるいは材料のセットを揃える元締めがいて、各家庭での内職でつくられていたのか、どちらだったのでしょう?
 

左はイモガイお嬢さん、右はホタテガイお嬢さんです。
イモガイとホタテガイのほかには、ツブガイ、ヒオウギ、バイガイのお嬢さんがいたようです。


どうやって、台座に固定しているんだろうと底を見ると、身体に通した針金を樹脂のようなもので留めてありました。

貝のお嬢さんたちは、まだ海外への渡航が制限されていた時代に、いち早く海を渡って、フランスのコートダジュールや、アメリカのマイアミで、お土産ものとして売られていたのです。


そうそう、観光旅行が解禁になった1970年代以降、外国の観光地でお土産を買って帰ってみたら、それがMADE IN JAPANだったという笑い話は、どこにでも転がっていました。
そして、私の友人の父上は、1990年代に、奈良でお土産ものとして売るために、ケニヤの木彫りの鹿を輸入する仕事をしていました。
お土産ものとは、そんなものなのでしょう。


パンフレットには、当時の鎌倉由比ヶ浜の夏の写真が載っていました。
由比ヶ浜は、夏休みの間は「芋を洗うような」混雑ぶりでした。
小学生のころ親に連れられて由比ヶ浜に海水浴に行き、それまで瀬戸内海しか知らなかった私は、高い波と黒い砂、そして人の多さにびっくりしたものでした。


さて、貝細工のおまけとして、江の島のしおりが入っていました。


あった、あった、ありました。
すっかり忘れていましたが、こんなしおりが、日本の観光地にはどこにでもありました。


さて、我が家に生息する貝細工たちです。
ちなみに、霞ケ浦の人形は、貝ではなくてタニシでできています。そして、ブンブク茶釜のタヌキは、一見ウニ細工(顔と尻尾は椿の実)に見えますが、茶釜の取っ手や足が貝です。








11 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

 それぞれの話で時代が解かるのが面白いです。
隙間から下が見える板橋で江の島に渡ると何所の店も
饅頭を蒸す蒸気が、
最後は入隊前もう食べるものナシ。
 前出の隅田川戦後の臭い時代が姐さんの頃で
団平船が荷物を運ぶのが私の時代です。

hiyoco さんのコメント...

江の島で作られたお土産の貝細工が世界に輸出されていたとは知りませんでした。いま江の島の参道にならぶお土産の貝細工はフィリピン産です(笑)。
お嬢さんたち、なかなかお化粧が濃いですね。左は有毒なイモガイのまねっこした無毒のマガキガイ、右はホタテガイに近いイタヤガイですね~。
奈良で売られていたケニアの鹿の木彫り。ある意味貴重ですね。昔、友人はケニアか南アに出張に行った際、キリンの木彫りの人形を買って船便で送り、6か月後にようやく到着。開けてみたら藁の中でキリンの首はぽっきり折れていたそうです。


hiyoco さんのコメント...

また茨城地震ですね。大丈夫ですか?

さんのコメント...

昭ちゃん
子どものころ、江の島は客引きの声がうるさく、ほかの観光地より観光地ずれしていた感じを、薄っすらと覚えています。潮の香もしていましたね。
その後はいきなり時代が飛んで1990年代になりますが、シンポジウム参加などで、江の島にあった「かながわ女性センター」に何度も行きました。hiyocoさんの話では、それももう取り壊されてしまったそうですが。

さんのコメント...

hiyocoさ~ん
戦後、日本はおもちゃでしか外貨を稼ぐ方法がなかったのが、わかる貝細工ですね。
江の島で今売られている貝細工はフィリピン製ですか。たぶん江の島だけでなく日本国中の貝細工はフィリピン製でしょうね。どこかの海で見た「貝の詰め合わせ」も、日本の貝ではありませんでした。

貝の名前は、コケーシカさんの表示のとおりで、私の責任ではありません(笑)。でも、ホタテなんて見るからに違っていて、ちょっと考えればわかりそうでしたね(爆)。
じつは、手に持っているバッグとか、帽子も調べてみようかと思いましたが、きっと間違うと思って、あえて触れませんでした(笑)。hiyocoさんに指摘された方が、勉強になってよかったかもしれませんが。
奈良の鹿は、木が違うと思ったのだけれど、奈良に行って確かめたことがありません。
キリン、あんなに細長い木彫りは手に持って帰らなくては駄目です(断言します)。私は何度、持ちにくいものを抱えて、しかもいっぱい抱えて移動したことか、機内は何とかなりましたが、成田からスカイライナー、そして一人のときは悲惨でした(笑)。不定形な荷物が6つとかあって。

地震は感じませんでした。というのも今日は市長選挙で、せっかくだからと投票所まで歩いて行ってきました。その間に地震があったのでしょうね。

karat さんのコメント...

何だか懐かしい人形です。子供の頃江の島や三浦半島の馬堀海岸によく海水浴で出かけて、そういう人形を見かけました。それで拾ってきた貝殻をセメダインでくっつけて人形を作ろうとしたことを覚えています。上手くいかなかったことも(笑)。
そう、それからこちらは砂が黒いです。私はずっと関東に居て、父親の仕事の関係で兵庫県に引っ越した時、砂が白というかベージュ色で感動しました。あちらの山の土もベージュ色で。花崗岩の石英とか長石とか黒雲母の鉄分のせいだったとだいぶ後で知りました。

hiyoco さんのコメント...

コケーシカさんのHP見ました。春さんの責任ではありませんね(笑)。
ホタテのお嬢さんの帽子とバッグはミタマキガイ、胴は黄色い輪っかがあるのでハナビラダカラ。イモガイのお嬢さんの胴はタカラガイですが、写真では種類はわかりません。帽子も謎。バッグは茶色いのでタカラガイのチャイロキヌタかな。2人のパフスリーブはフトコロガイかと思います。
50年前のデッドストックがどこから出てきたんでしょうね~。他のツブガイやヒオウギガイもそれぞれ名前が違っているけど(たぶんコケーシカさんの責任でもないでしょうね 笑)、ほぼ江の島近辺で採れる貝ばかりです!
妙な荷物を6個も持った春さんを税関の人は怪しく思わなかったのでしょうか~(笑)。
地震はたいしたことなくてよかったです。

さんのコメント...

karatさん
観光地に行ってもお土産としては絶対買わないどぎつさです。もし、コートダジュールで貝のお嬢さんに出逢っても買わないでしょうね(笑)。
私が江の島土産として覚えているのは、スノードームです。中に竜宮城があるのを、よく売っていました。
黒い砂は粒も小さかったでしょうか?水着の縫い目に入り込んだりして気持ち悪かったです。たった今思い出したけれど、人生最初の水着はウールでできていたような。水を含むとずっしり重くなって、水着を着ているだけで気持ち悪かったです。

さんのコメント...

hiyocoさん
疑いが晴れて、心は日本晴れです(笑)。
私は江の島周辺で採れる貝ばかりではないだろうと思っていましたが、湘南で採れる貝ばかりと聞いて、ほっとしました。誰かがあのあたりで拾ったのですね。
それにしても人形はたくさん出てきたようだから、栞も出てきているから、江の島あたりの潰れたお土産物屋さんの古い倉庫とかでしょうか?ごちゃごちゃに入れておいたら割れてしまうだろうから、それぞれ箱に入っていたのでしょうね。その箱は捨てられちゃったけど。

私は何度も空港の人を楽しませてきました(^^♪背負子を背負って見せたり、おもちゃを動かして見せたり、みんな集まってきて大笑いされたこともありました。機内でも優しくしてもらえたし。でも、日本の入管の人が注目するようなものは、何も持っていなかったので無事でした(笑)。

karat さんのコメント...

そういえば小さい子の水着は毛糸で編んだようなものだったと思い出しました。砂粒は小さかったと思います。海でなくても外で遊ぶと靴下が黒く汚れましたが、兵庫県に行ったら黒く汚れないので驚いた覚えがあります。

さんのコメント...

karatさん
あの毛糸の水着、しかも肩からは細い紐で吊る水着、私は死ぬほど嫌っていました(笑)。
今、ここ茨城の海も黒い砂です。昔はプールがあまりなかったから、みんな海で泳いでいましたね。