この、すました娘の表情には、どこか見覚えがあります。
東欧風な配色ですが、釣鐘型で、玉を並べたネックレスをしていて、袖に刺繍のあるブラウスを着ていて、花束を持っています。
そう!この子たちと同じ、モスクワ州ポドリスク地域でつくられたに違いありません。
もっとも、マトリョーシカにはなっていなくて、こけしのようにむくの木でつくられています。
底には、1988年11月25日と、鉛筆書きがあります。
東ドイツか、ポーランド、ハンガリー、チェコのあたりのお父さんが、モスクワに行って、娘のお土産に買ってきたものでしょうか?
とても大切にされていたのか、あるいは気に入らなくてしまい込まれていたのか、たった今できあがったように、つややかです。
ポドリスクの、マトリョーシカたちは、
「どうしてこんなに小さくつくったの?木がなかったの?」
といぶかしく思うほど小さいものですが、この娘は巨大です。ポドリスクに木がなかったのではないことは、確かでしょう。
1988年と言えばソヴィエト連邦崩壊の三年前です。巷には、すでにいろいろな兆候があったのでしょうか?
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