2014年12月4日木曜日

Gさんの家

都会から流れてこのあたりに住みつく人たちは、生活のイメージをはっきりと持った人たちなので、有機農業、有機畜産、陶磁器や木製品、鉄製品などをつくるかたわら、住む家も手づくりする人がたくさんいます。
元同僚のGさんもそんな一人です。
Gさん一家は、山の中に五反ほどの杉林を借り(現在は自分のもの)、木を切って開けた土地をつくることからはじめ、長く中古のプレファブを組み立てた小屋に住みながら、鶏を飼い、お米をつくって生計を立ててきました。
家は、小屋の周りの杉をさらに切って乾かし、製材してもらい、大工さんに刻んでもらって建てました。
上棟するまでは大工さんにも手伝ってもらいましたが、風呂やお手洗いをつくったり、壁をつくったり窓を入れたりと、上棟後の造作は全部自分でやりました。


Gさんの家は、太い柱をつかった大きな空間が特徴です。
天井を見上げると、あちこちに見られるのが、追掛大栓継(おいかけだいせんつぎ)です。


腕のいい大工さんが刻んだものですが、今日、追掛大栓継はめったに見られるものではありません。

もっとも、こんな素敵な梁の上に見えるのは、天井板をはがして断熱材を拭きつけた口に貼った、紙の帯です。
我が家は、垂木に天井板を貼った後、断熱材を敷き入れ、それから野地板を貼ったり、瓦を葺いたりしています。
ところが、Gさんは人の手を借りなくてはならない屋根を葺くまでの工事を、急いで終わらせたいため、断熱材を後で吹きつけるという方法を取りました。
そのため、家がほぼ完成してから天井板をはがして断熱材を吹きつけたのですが、その吹きつけ口は、下地用の紙で塞いだままです。


完成して住みはじめたときに、
「あそこはどうするの?」
と聞いたことがありました。
「まあ、おいおいなんとかしますよ」
あれから何年か経ちましたが、なんともなっていません。
自分の経験に照らしても、それですむところにはなかなか取りかかれないものです。ここも木だったらどんなに素敵だろうと、他人ごとながら思ってしまいますが、きっといつまでも紙のままでしょう。


台所とダイニングを仕切る戸棚は美しい!
キクサの清水さんが、Gさんの敷地に生えていた杉の木でつくった食器戸棚兼間仕切りです。


写真ではよくわかりませんが、引き出しの前板は草木で染めてあります。


右下の開き戸は、


反らせないために、内側に反り止めの板がはめ込んであります。
素人大工にはまねのできない技です。


奥行きのある食器棚兼間仕切りの、ダイニング側は、浅い棚になっています。


食器棚兼間仕切りだけでなき、2メートルはあろうかという長い食卓も清水さんのつくったものです。


Gさんの家には「こだわり」と「こだわりきれない」が混在しています。
もっともどこの家もそんなものかもしれません。

私がはじめて八郷を知ったのは、Gさんが開墾に手をつけはじめたころ、切った杉を片づけるのを手伝いに来たことからでした。
そのGさんは、大学の同級生のご両親が八郷に住んでいたことから、八郷を知りました。同級生のお父さんは、古い卵の会のメンバーで、もう35年も前に八郷に移住してきた人だったのです。





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