2022年1月20日木曜日

バウレの絣


コンゴの籠を手に入れたとき、コートジボワールのバウレの布とセットでした。
バウレの布はすでに持っていると思っていたので嬉しがりもせず、さして気にも留めてなかったのですが、布箪笥の中を探しても、バウレの絣が見つかりません。
「あれっ?」
念のためブログを見返したら、自分では持ってなくてよそさまの布の写真を参考にと使っていました。なんと持っていないのに、持っているつもりになっていたのです。


さて、国の南がギニア湾に面しているコートジボアールのバウレの人々がおもに住んでいるのは中央近く、濃い緑色の部分です。


コートジボアールの隣国ガーナのアクラから250キロ内陸に入ったところ、クマシに2年も暮らしていたのに、休暇になって出かけるとなると北ばかり、ガーナ国内だけでなくブルギナファソにも行ったのに、西へはまったく行ったことがありませんでした。


この布は、工場で撚られた木綿糸を染めて、織られています。
白い糸の一部をくくって藍で染めて模様をつくったものに、茜色(あかねいろ)に染めた糸を加えて、細幅に織ったものをつなぎ合わせて、一枚の広幅の布にしています。


面白いのは、茜色は糸をそのまま染めているのに対して、藍色は、ほとんどが藍色の糸や、ほとんどが白色の糸でさえ、糸をくくって、絣に染めていることが、端近くが藍色の部分と、端やフリンジの白い部分を見るとわかります。


つまり、布の端に藍がべったりの部分をつくるためだけに、白い糸をそのまま使わずに絣に染めているのです。
経絣(たてがすり)なので、緯糸(よこいと)は目立ちませんが、白い部分も緯糸には藍糸を使っています。
布の端をかがってほつれ留めにするなど手を掛けているのに、細布と細布は、ジグザグミシンではぎ合わせています。ミシンで接ぎ合わせることは、手でかがるより高級と見られていたのかもしれません。バウレの織物はこれだけでなく、ほとんどミシンで接ぎ合わせられています。


工場製品の糸が細い分、ブルギナファソの手紡ぎ糸の布と比べてみると、バウレの布は薄くてしなやかです。

木綿の栽培はインドで約8000年前にはじまったと考えられています。それがアラビアに伝わり、アフリカに伝わりました。
しかし、西アフリカのギニア湾に面している地域では、北から陸伝いに伝わった綿栽培が海岸線まで到達したのかどうか、私は知りません。もっとも、海岸に近い場所でも、織物技術は北から伝わっています。
海岸地方には、陸伝いではなく海から、象牙や金との交換品として、産業革命以後の早い時期から、ヨーロッパの機械紡ぎの糸や綿製品が押し寄せてきました。
もし、歴史上で海岸に近い地域(サバンナ気候ではない地域)で綿の栽培が行われたことがあったとしても、早くに消えてしまったし、栽培そのものが行われなかった可能性が大きいと思われます。

というのは過去の話で、現在では綿の品種改良も行われ、西アフリカに、輸出作物としての綿の栽培地は広がっているようです。
綿の栽培は、地球上の耕作面積の2.5%を占め、穀物、大豆に次いで重要な農産物になっていて、スーダンのように食べるものにも事欠く地域でも栽培されています。








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