その道を通りがかって、
「あれっ、なんか変!」
と思いました。
帰り道、車を降りてみました。
あんなにたくさん立ててあった、
犬供養の三又が、一本残らず片づけられていたのです。
二月に新しいものと取り換えるのは知っていましたが、これまで、
古いものもそのままにしてあって、何本も、何本もありました。
12月に前を通ったときも、見かけたように記憶しています。
子安講そのものが形を変えてしまったのでしょうか?
石像たちも、こころなしか寂しそうです。
二月(たぶん旧正月か?)には、例年通り新しい三又が供えられるかどうか、忘れずに見ていたいと思いますが、石像同様、私も寂しいです。
2 件のコメント:
鎮守の森とか道祖神自然との関わりを、、、
私が好きな旧道にある「さば大師」は残っていますが
「塞の神」も最近通ったら「あれっ!!確かこの辺に、、、」
道路優先でしょー
昭ちゃん
今は、子の健康はお医者さまに託します。犬供養の集まりでは、祈ることより集会の後の演歌歌手のコンサートに行くことの方がメインになっていると聞いていましたし、執り行う人の高齢化、若い家族の減少などなど、色々なことが影響しているのだと思います。
部外者は勝手に寂しがりますが、やっている方としては続けられない理由があるのでしょう。2月に新しい三又がなかったら、もう終わったのですね。
私も、数年前にいつも通るお地蔵さんの前垂れがボロボロなのが気になって、6体分の前垂れや帽子をつくって、誰にも見つからないように取り替えたことがありました。その前垂れや帽子がもう色褪せていて、その道を通るたびに取り替えた方がいいのだけれどと思いながらも、何もできません(笑)。何事も継続するには力が要ります。
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