2021年7月3日土曜日

ふご


やなぎの野良籠と同じところから出てきた、直径が41センチある大きな籠です。紐が2つついているので、おそらくは天秤棒と一緒に使う籠だったと思われます。
天秤棒は中国から東南アジア一帯西欧にもあります。日本では、ふご(畚)、桶、籠、箱などと一緒に使われました。


稲わらのふごを、一度だけ骨董市で見たことがありました。珍しがっていると、骨董屋さんが遠い眼をして、
「昔は時代劇がいっぱいあったから、小道具さんが骨董市を廻っていて、こんなものもよく買ってくれたんだけどねぇ」
と、言っていました。


浅いふごは、田んぼに堆肥を入れるときとか、苗代から抜いた苗を運ぶとき、土木工事のときなどに欠かせませんでした。


桶は、水汲みや下肥を運ぶのに使われました。
桶やふごは農作業に必要なものとして、戦後まで使われましたが、私は物売りの天秤棒姿を見たことはありません。


しかし、江戸時代には、各種各様のものが天秤棒で売り歩かれていました。


中でも一般的だったのは、棒手振りと呼ばれた、魚屋さんでした。


さて、この籠は、やなぎ(萩?)を横向きに編んで、底で一点に絞り、絞ったところは紐で始末しています。


その紐の編み方が見事です。
一部破れてしまっていますが、出来たてのときはさぞや美しかったことでしょう。


縁と、底と胴の境には、真竹と思われる竹が使われています。

しかし、この籠は何を運ぶのに使ったのでしょう?
私は、深さのあるふごは、見たことがありませんでした。しかし、ふごで検索していたら、「mizuchan800のブログ」という仏師さんのブログが見つかりました。


稲わらのふごですが深さがあり、柳の籠と形が似ています。
仏師さんは毎年、町内のお年寄りから習うふごづくり講習会に参加して、3個もつくられています。
いったいどの地方か知りたいと、ざくっと見たのですが、わかりませんでした。さらに見ると、この形のふごは、京都でも使われているようでした。私が知らなかっただけで、広域で使われていたのかもしれません。

普通は稲わらでつくるふごを、もっと長持ちするやなぎでつくってみた人がいたということでしょうか?
あまり重いものは入れられないと思いますが、軽くて嵩張るものだったら、たくさん入れられます。


籠は何も語りませんが、歴史を生きてきた証人にも見えます。






16 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

ボて振り懐かしいな、魚屋は蓋がまな板で
夏の風鈴売りは遠くから音で解ります。

さんのコメント...

昭ちゃん
ぼて振りに会ったんですか?いいないいな。私にとっては江戸小説の中の人です(笑)。
もっとも、自転車の後ろに荷をつけた魚屋さんは来ました。あれは魚屋さんだったかなぁ、大きなちくわを持っていて、お小遣いを持っている私の同級生の男の子が、私の目の前で買って食べていました。びっくり、私にはお小遣いもなければ、ちくわをおやつに食べるという発想もありませんでした(笑)。
音だと、豆腐屋さん、夜鳴き蕎麦くらいです。

昭ちゃん さんのコメント...

 近ければ春姐さんの講座に参加できますがね、
前世の記憶や死に直面したら
夏向きの話でも。


  

さんのコメント...

昭ちゃん
ちょっと遠かったですね(^^♪

af さんのコメント...

残念…

かねぽん さんのコメント...

こんばんは。
天秤棒で思い出しました。
昔我が家の便所がボットン式だった頃、父が汲み取りをして天秤棒で担いで肥溜めまで運び、しばらく熟成させてから畑に撒いてました。
昔の人は何でも自分でやって偉いなあと感心しましたが、僕自身は一度もやった事がありません。

さんのコメント...

かねぽんさん
私の祖母もやっていました。そんなとき、子どもはできるだけ遠くに離れていました(笑)。
排泄物は貴重品でした。

昭ちゃん さんのコメント...

 畑の隅に片屋根をふいて、落ちた子もいますこれが
田舎の香水の匂いです。笑い
農業高校の別名はこえたご廻しです。

hatto さんのコメント...

明治生まれの(三重県)祖父母が農作業で天秤の藁カゴを使っていたのを記憶しています。わらじ型のゴム草履なんかを履いて畑から帰ってきていました。炭入れにも使っていました。昭ちゃんさんの書かれている「風鈴売り」が、遠くからの音でわかる...なんてとても風流で、良い時代でしたね。それは昭和の初め頃でしょうか。そんな光景を実際に見てみたいものです。

昭ちゃん さんのコメント...

 いろいろな思い出が面白いです。
農作業の思い出は昭和20年11月九州にきてからで
くみ取りとボて振りは東京での思い出江戸っ子三代目は田舎ナシです。


さんのコメント...

昭ちゃん
畑や田んぼに肥溜めがあったのは、畑での排泄物も無駄に自然界に戻さないという知恵だったのですよね。
その周りは匂ったかもしれないけれど、ロンドンのように道じゅう排泄物だらけで、息もできなかった。週末に郊外に行ってやっと深く息ができたというのに比べると、ずっと清潔です。

さんのコメント...

hattoさん
それそれ、それが「ふご」です。「もっこ」とも言われました。私は、ふごと言えば農作業、もっこと言えば土木作業と思ってしまいますが、同じものだったようです。
映画で観たりして混同しがちですが、私も風鈴売りも金魚売りも見たことがない気がします。物心ついてよく聞いたのは「竹やー竿竹」とか、「古新聞とちり紙の交換」など、風流ではないのばかり(笑)。
ネットで、「江戸時代の行商人と売り声」というサイトを見ると、いろいろ出ています。読んでないけれど(笑)。https://www.benricho.org/Unchiku/edo-syokunin/11-kinseiryukosyonin/
昭ちゃんは昭和2年生まれの昭二さんですから、そのころまで風鈴売りがいたのですね。風鈴はきっと、ガラスでノキシノブのついたやつでしょう。

昭ちゃん さんのコメント...

江戸時代そのままの売声
「雪駄直し」はデイデイの売声です。

さんのコメント...

昭ちゃん
『江戸の売り声』という本も、『売り声図鑑』という本も出ているみたい(笑)。面白いですね。
アイスクリーム(とアイスキャンディー)の鈴の音のチリンチリンは、タイ、インドネシア、フィリピン、日本も同じでした(^^♪

hatto さんのコメント...

昭ちゃんさんは昭和2年とのこと。私の父は昭和10年ですのでまだまだ先輩ですね。日本の生きた辞典ですね昭ちゃんさんは。これからも色々教えてください♪ 春さんは世界の辞典です。ここで辞典が二冊も!しかも無料(笑)いつもありがとうございます。昭和40年生まれの私は楽しく勉強させてもらっています。

昭ちゃん さんのコメント...


hattoさん有難うございますこちらこそよろしく
皆さんの話こそ私の空白を埋めています。
東京最後の年1945年7月は気球隊で荏原区星講堂の隣F工場の屋根で
最後の空襲を多摩川まで見えましたよ 私の勉強ですお答えします。