2022年9月20日火曜日

エリザベス女王の切手

昨9月19日には、イギリスのエリザベス女王の葬儀が執り行われました。
私は、切手コレクターではありませんが、いろいろな経緯があり、世界の切手をつまみ食い的に持っていて、中にはエリザベス女王の切手もいくつかあります。
エリザベス女王の切手は、イギリスだけでなく、英連邦やかつて植民地にされていた国にも見受けられます。


まずはイギリスから、イギリスの普通切手(右上だけ記念切手 )です。
切手を整理するとき、最も面白くない切手の数々、値段によって色が違う、1色刷です。


イギリスの記念切手には、すべてにエリザベス女王のシルエットが入っていて、フランケンシュタインや「バスカヴィル家の犬」の(気持ちの悪い)切手などにも入っています。


在位25周年の記念切手。


女王60歳のお誕生日の記念切手。
ちなみに、イギリスは自分が「切手」というものをつくったという自負を持っているので、切手には国名が書かれていません。


私の持っているエリザベス女王の一番古い切手は、1937年発行の英植民地オーストラリアの切手です。
エリザベス女王の即位は戦後の1952年ですから、まだ女王になる前です。オーストラリアがイギリスの植民地だったころのものです。オーストラリアは独立してからも長く英連邦に入っていたので、女王の切手がたくさんあります。


左1953年、右1957年。


左1959年、右1966年。
ニュージーランドにも、女王の普通切手があるのですが、私は1枚も持っていません。

カナダも英連邦だったので、エリザベス女王の切手がたくさんあります。


左1953年、右1954年。


左1963年、右1979年ごろ。


1971年~79年。


1972年の切手は、いつもとはちょっと違うデザインです。


1988年に何故、カナダでエリザベス女王の切手が発行されたのか、背景はわかりません。
もう英連邦ではなくなっていたし、この年の、女王によるカナダ訪問もありませんでした。


アジアでエリザベス女王の切手が最もたくさん発行されたのは、何といってもホンコンです。


ホンコンの普通切手は、長くエリザベス女王の切手でした。


ホンコンの切手には、一般的におしゃれな切手が多いのですが、スナップ写真をそのまま切手にしたようなエリザベス女王の切手は、あまりいただけないものです。


この切手など、もっと何とかならなかったのと思う表情です。

東南アジアのマラヤ連邦は複雑な歴史を持っています。
スルタン(王)のいる各州はイギリスの保護区だったり植民地だったりしましたが、1963年にマラヤ連邦はシンガポール、北ボルネオ、サラワクと統合して、マレーシアとなりました。そして、1965年にはマレーシアからシンガポールが独立しました。


イギリスの保護国であった北ボルネオの切手です。
北ボルネオとはサバ州の旧称ですが、先住民が住んでいるにもかかわらず、大々的に熱帯林を伐採することが「開発」と取られていた時代の写真です。
皮肉なことに、比較すると大木が少なかったサラワクの伐採はサバに遅れましたが、まだブルドーザーなどの重機の発達が未熟だったころのこと、サバの伐採の多くは人力に頼ったので荒らし切らず、今ではサバの方がサラワクより豊かな自然が残っています。


シンガポール・マラヤ連邦のエリザベス女王の切手は、1種類だけ持っています。
1950年代の切手です。

以下は英連邦の切手です。



アンギラは、西インド諸島にある小さな島国です。


左はバーブーダ、右はアンティグア。
両国合わせて、アンティグア・バーブーダとも呼ばれています。


カリブ海のグレナダは英連邦の国、エリザベス女王の写真はないけれど、王冠とE・Rは、英連邦を示しているのかもしれません。


さて、これは、REVENUEと書いてあるけれどPOSTAGEとも書いてあって、収入印紙なのか切手なのかわからないものです。

以上、エリザベス女王の切手でした。






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