タイに住んでいた頃、タイスキ(しゃぶしゃぶのような鍋料理)を食べに行くと、こんな網杓子が使われていたので、家でも使おうと買ったものです。
昔はよく使いましたが、息子たちが独立して以後は手抜き料理がおもで、鍋料理だってお玉杓子ですくおうと、網杓子ですくおうと一緒だと思うし、洗いものは少ない方がいいし、具はお箸でもつまめるしといった具合で、網杓子の出番はすっかり減っています。
なかなか見事な細工です。
編み終わりは縁で留めてあります。
こうやって拡大してみると端が目立ちますが、使う分には邪魔にならないし、口の中に入れるわけではないので、支障もありません。
中には、途中で足りなくなったのか、縁まで届かなくて途中で留めてある針金があるのが面白いところです。
網杓子同様、長い間使っていない、トム・ヤムを入れて食卓に出す火鍋も捨てられません。
炭もあるし、最近はトム・ヤムの材料も日本でも手に入りますので、「いつか」つくってみましょうか。
4 件のコメント:
15年くらい前のことですが。バンコクでタイスキを食べました。その時にスイカと
スイカにつけて食べるものが出てきました。塩と何かが混ざっていたような。味はもう思い出せませんが妙に後を引く味付けで、大盛りのスイカとそれを全部食べました。タイスキも食べて。食べすぎておなか壊しました。(笑)
知人さんがタイのことを書きました。よろしければお読みになって下さい。http://www.kinyobi.co.jp/news/2014/09/26/第25回「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」佳作入選/
Bluemoonさん
まだ柿の皮むきがあって、それに泊り客も来るのですが、『週刊金曜日』の安江俊明さんの長い(笑)文を読ませていただきました。面識のある三留さんや、瀬戸正夫さんのお名前もあり、興味深い内容でした。ここには書かれていませんが、タイの日本人捕虜収容所は虐待も差別もなく友人として接してくれた収容所で、1980年ころは、当時の捕虜と看守たちタイ人がときおりタイに集まったりしていたようなところでした。捕虜収容所と言っても、たくさんの労働力が欲しかったロシアなどとは全然違っていたのです。
銀さん、もちろん望郷の念もあったとは思いますが、それほどでもなかったと思いますよ。薬草はいっぱいあって面白いし、タイの農村生活は絶対パラダイスです。私もタイ農村に永住したかった(笑)。
スイカにつけたのは、少量の塩、砂糖、トウガラシ粉のミックスではないですか?グアヴァとかナツメとか、何でもトウガラシミックスをつけて食べると、いくらでも食べられます。
お忙しい中で、ありがとうございました。原稿用紙99枚です。読みながら、もしかするとどなたかをご存知かしらと春さんのことを考えました。
私と友達も「なんぼでも食べれるよね~」と言いながらスイカを食べていました。トウガラシミックスだったんですね!甘味もありました。
Bluemoonさん
おもしろかったですよ。銀さんのお連れ合いがお金にしっかりしていたとか、中国系の人の常です。生粋のタイ系は、その日食べられるだけ手にするとよしとするし、人には見栄を張ってない袖も振るし、それで差がついて、今では経済を牛耳っているのは全部中国系です(笑)。
でも、私は立身出世や金もうけの階段を登ろうとしなかった(今はどうかな?)タイ人に大いに関心がありました。そんなことでは、今のグローバル社会では、取り残されてしまいますが、100年くらい経って、みんな反対向いて、ビリが先頭になったりすると面白いですね。あり得ないかな(笑)。
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