2018年12月4日火曜日

似ている?似ていない?

春から秋にかけてはデンマークのコペンハーゲンに住み、寒い時期にはタイ南部に住んでいるアンから、友人一同に当てたメイルがきました。なぜか、一枚だけ写真が添えられていました。

このところ瞑想を日課としているけれど、瞑想がストレス解消になるなどと、今更取り立てて言うほどのことでもない、みんな知っていることでしょう。と書いたあと唐突に、


市場で見かけたこの子どもは、飲みものはあるし、おむつはお母さんが取り替えてくれるし、ネットでつながっている。お母さんはバナナを売って生計も立てている、これが生活ってものです。と書いてありました。
「ん?」
アンが何を言いたいかは、わかるようでわかりません。

「えっ、おむつしてたっけ?」
と写真をよく見ると、確かに使い捨てのおむつもしています。
両手を使っていないから手に持っているのはゲームではなさそう、スマホでしょうか?
分別臭い顔をして哺乳瓶を口にしながら端末に見入っているだけでも異常におかしいのに、おむつをしているとは、どう受け止めたらいいのか、アンならずとも戸惑います。


さて、男の子のの写真を見て、この絵と比べるのもどうかとも思いますが、私もまた唐突に、バン・ナッ(カンボジア人画家、1946年生まれ)の『私の生まれた村』と題した絵を思い出しました。

タイだったかカンボジアにこんな笑い話があります。
働かないで日がな一日楽しく暮らしている熱帯の人を見て西洋人が、
「働かなくちゃだめだ」
と説教します。
「どうしてですか?」
「働かないと食べられないだろう」
「食べるものは十分あります」
「食べるだけじゃだめだ。お金を貯めなくては」
「お金を貯めるといいことがありますか?」
「そうだよ。南の国に遊びに行けて、日がな一日のんびりできる楽しみがあるぞ」
「もうのんびり暮らしていますよ」
というものです。

アンは笑い話は知っているかもしれないけど、でもこの絵は知らないはずです。
バン・ナッの絵は、貧しいか豊かと問われれば豊かとしか答えられない、南国の感じをよく表しています。

バン・ナッの世界がまだあると信じたいものです。








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