ベーハ小屋と呼ばれている建物です。
ベーハ=米国の葉、つまり、アメリカ煙草の葉を乾燥させるための小屋で、煙り出しの小屋根と、ときおり煙突がついているのも見かけますが、火を燃した時にのぞいてみる小さな小窓以外、窓はありません。
日本では、江戸時代からタバコが栽培されていましたが、アメリカで品種改良されたアメリカ・タバコが紹介されたのは昭和に入ってでしょうか。戦中戦後にかけてたくさんのベーハ小屋が建てられ、1975年ごろまで盛んに使われていたそうです。
タバコの葉を一枚一枚摘んだら、それを小屋の中につるし、火を燃やしてて乾燥しました。もちろん、簡便な乾燥機のある今では、乾燥小屋としてはまったく使われていません。
全国にはいろいろなスタイルのベーハ小屋があるようですが、八郷スタイルは、竹小舞を組んで、土壁を塗り、下屋と呼ばれる差し掛け屋根を二方に大きく出したものです。屋根瓦は、比較的安価なセメント瓦が使われているものが多いのですが、土瓦も使われています。
誰が名づけたのか、夫婦釜と呼ばれる、煙り出しが二つ並んでいるベーハ小屋も、よく見かけます。
ベーハ小屋は過去の遺物ですから、現在はせいぜい物置として使われているくらいです。二年前の地震で屋根瓦が壊れたまま、修理もされずに放置されている小屋もよく見かけます。
いずれ、そう遠くないうちに、まったく姿を消すのでしょう。
このあたりでは、ベーハ小屋と呼ばれず、「タバコ乾燥小屋」とか、単に「乾燥小屋」と呼ばれています。
明治時代の養蚕の名残は、建物にはほとんど残っていません。わずかに畑の縁や道路わきに残されている桑の木から、往時が偲べるだけですが、ベーハ小屋は、ここ八郷では、まだまだどこででも目にすることができます。
養蚕も、タバコの乾燥も、お茶づくりも、一家総出、ときには隣近所の人たちも巻き込んで大変な作業だったそうです。
6 件のコメント:
私も以前これについて興味を持っており色々調べていた時期がありました。四国や栃木にもあるそうですね。http://www.bionet.jp/2009/10/kyomi078/
hattoさん
北田英治さんという方が「ベーハ小屋」という写真展をなさってから、通称になったようですね。
結構はかなくておもしろいのですが、造形的に見れば、このあたりで「蔵」と呼ばれている木造の建物の方が、実は数段好きです(笑)。蔵は、屋根と下屋の間の高さとその部分の処理、下屋の屋根の勾配、棟瓦の積み方などで微妙に美しくなったり、品がよくなったり、成金ぽくなったり、やぼったくなったり、それはそれは難しいものです。だから見るのがおもしろいです。
私も先日、蔵のある(崩れかかった)家を見に行ったのですが、現場にいらした方のお話ではよい蔵になると土壁を塗る前の、竹組が違うらしいですね。竹組の太さでそれが判るそうですね。きちんと保存された建築物になるとなかなか壁の中までを見る事はできませんが、朽ちた建築だとこうした昔の建築工法など様々な角度から見る事ができますね。それらを見ていると、色々な職人がかかわり技術を競い合った様子が垣間見られます。今では、宮大工にでもならない限りなかなかそういう腕の見せ場も少なくなりましたね.春さん宅のような家を立てれば話は別ですね!
hattoさん
hattoさんのおっしゃる土蔵は、本当、あんな作り方をしているなんて、思いもよりませんでしたね。土蔵の本をUPしたと思っていたのに、記憶があるのに記録がない。もう一度調べて、UPしていなかったらUPしますね。農村部には土蔵は少なくて、町には土蔵も大谷石の石蔵もあるのですが、このあたりは板蔵(http://koharu2009.blogspot.jp/2010/12/blog-post_15.html)ばかりです。
崩れた土蔵の見学なんて素敵ですね。
春さん内容が異なるので恐縮ですが、
空襲後一面の焼け跡にポッン、ポッンと残っているのは屋根の抜け落ちた土蔵でした。
外壁はびくともしておりません。
やはり昔からの技法だったからでしょうね。
昭ちゃん
土蔵ってすごいですね。今日土蔵の絵本のことを書きましたので見てください。
また、空襲は究極ですが、日本の火事は半端ではなかったようですね。広域にどこもかしこも焼け焦げて。だから土蔵づくりが発達したのでしょうね。
それにしても徒弟制度があったからこそできたことだと、絵本を読み返して改めて思いました。一人でこつこつつくることも素敵ですが、みんなでわいわいしないとつくれないものも素敵です。
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