埴生の宿も わが宿
玉の装い うらやまじ
のどかなりや 春の空
花はあるじ 鳥は友
おお わが宿よ
たのしとも たのもしや
もとはイギリス民謡の「ホーム・スイート・ホーム」ですが、小さいころから親しんできました。
先日、偶然この歌についてのテレビ番組を見ました。お昼前で、夫がニュースをどこかの局でやっていないかとチャンネルをカチャカチャと動かしていたので、ほんの一瞬しか見ませんでしたが、びっくりしました。
歌詞の字幕が出ていて、
埴生の宿も わが宿
玉の装い 羨まじ
と書いてありました。粗末な家に住んでいるけれど、立派な家に住んでいる人をうらやましくは思わない、という意味だったのです。
「えぇぇぇ!」
私は、ずっと、
埴生の宿も わが宿
玉の装い 裏山路
だと思っていたのです。埴生の宿の裏山は、何ごとにも代えがたいほど美しいものであると理解していました。
試しにネットで、二番の歌詞も見てみました。
書読む窓も 我が窓
るりの床も うらやまじ
きよらなりや 秋の夜半
月はあるじ 虫は友
おお わが宿よ
たのしとも たのもしや
これも、豪華な床もうらやましくないということでしょうか。
ちなみに、ネットでは「うらやまじ」はひらがなで書いてありました。
正直、とってもがっかりしました。
「羨まじ」ということは気にしていること、うらやんでいることの裏返しにほかなりません。作詞家の心の卑しさまで見えてきました。
8 件のコメント:
春姐さん私は意地でも書かない字があります
目線 これはテレビ用語で視線ですよね、
十分 充分 こだわりの昭和2年です。笑い
もう一つ
テレビドラマで軍隊物があるとやたらに「ハッ」っと返事を連発します
「ハィ」っと正確に答えないとブットバされます
「ブツ」は接頭語でしたね実体験の話です。
確かに羨まじも裏山路もひらがなは同じですね。裏山路なら一人の世界ですが、羨まじになると急に第三者が登場して、自分と比較するなんだか残念な感じがします。
埴生の宿って初めて聴きました。タイトルから哀愁漂う歌を想像していたのですが、意外に明るい曲調でした。
昭ちゃん
外は、台風19号の風が強くなってきました。
私は「生きざま」も使いません(笑)。
hiyocoさん
えぇぇぇ!「埴生の宿」を知らない!!!学校で教えなくなったんですね。
私の時代は小中学校では小学生唱歌、中学校では中学生唱歌を、身体に叩き込まれました(笑)。唱歌にはいろいろあったと思われるけど、何故だか今でも残っているのは「ふるさと」ですね。
私は「ふるさと」は好きじゃありません。「簡単に歌うな。そんなに懐かしいなら、田舎に帰れよ」と思ってしまいます(笑)。
私も学校では習った記憶がないです。ですから、メロディーで歌えるのは上に書かれている歌詞の最初の一行だけです。
のらさん
そうですか。ではあっというまに教科書から外されたのですね。また、私が小さいころは「童謡歌手」という方たちもたくさんいましたから、ラジオからもよく流れていたかもしれません。
あと、学校で習った歌としては、♪海は広いな大きいな♪という歌がありましたが、大人になってから植民思想拡張の歌と知りました。まだまだ、戦前戦中の歌が結構残っていたのでしょう。
それにしても当時は、♪あぁ母さんとただ二人、栗の実煮てます囲炉裏端♪とか、♪お母さま泣かずにおねんねいたしましょう♪など、父親不在(多分戦争に行って)の歌がたくさんあったような気がします。
おはようございます。
埴生の宿はオルゴール曲のイメージがありますが、歌詞も少し覚えています(習ったのかな)。
でも、たまのよそおい、の「たま」は「たまに何々する」の「たま」だと受け取っていました。あとの歌詞は勿論スルー。「埴生の宿」も当時は意味不明でした。
しかも、自分で歌おうとすると後半は「ああ白菊♪…」という「庭の千草」とごっちゃになるという始末です(^^;)。こちらもオルゴール曲のイメージですね。
karatさん
「埴生の宿」のテレビ番組はちらっとしか見なかったので間違っているかもしれませんが、もともと敵国(イギリス)の歌だけど、日本人に慣れ親しんでいたので、これは許すという感じで歌われたとか、ということは私よりもっと前の世代の歌で、戦後までその名残があったということなのかもしれません。
歌と人のかかわりは、世につれて変わりますね。しかも、いろいろな歌の層がありました。
中学生のころは、例えばある同級生からは「原爆の歌」を教えてもらい、お祭りののど自慢ではこんな歌が流行っているのかとびっくりし(島倉千代子の弟が、同級生でした)、ある同級生からは「マイウエイ」を教えてもらうといったような(笑)。
「庭の千草」は、音程差がありすぎて、とても歌えません(笑)。
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