2020年10月6日火曜日

チプ

地球上で、人間が初めてつくった乗りものは舟だと考えられています。
最初は、一本の木を刳り抜いて舟をつくりましたが、それに板をつけ加えて外洋にも出られる大きな船をつくり、やがて板をつくる技術とそれを接合する技術の発展とともに、より大きな船をつくることができるようになりました。
技術の発展のみによって大きな船をつくることができるようになったかに見えますが、その裏には、刳り抜いた舟の材料である大木を伐りすぎて、枯渇してしまったという背景もあります。言い換えれば、近代まで刳り抜いた舟が残っていた地域の人々は、上手に環境保全をしながら生活してきた人々と言うことができます。



アイヌも、そうやって暮らしてきた人々、川で、湖で、そして海で、丸木舟の「チプ」は生活に欠かせないものでした。
上は、漁をするアイヌの写真、明治10年代に撮られたものです。

復元されたイタオマチプ

アイヌも、外洋に出るときは、チプに板を加えた船、「イタオマチプ」を使っていましたが、生活の基本は、チプでした。


祭事に使うイナウにも、そんなチプが使われています。


これは、農民美術の流れを汲んだ、白樺でつくられた、たぶん観光地の土産物ではなかったかと思われる人形で、アイヌのご夫婦はチプに乗っています。


アイヌのご夫婦人形は、たいてい魚かクマの子を持っているものですが、この舟に置いてある蓋つきの甕のようなもの、いったい何を入れているのでしょう?



こちらは、漁に行ったチプとわかります。


魚が動くのに、取れないでくっついていると思ったら、目を釘でつくってありました。

話しが変わりますが、カンボジアの農村で、川を渡らなくてはならないとき、一度だけ村の刳り抜き舟に乗せてもらったことがあります。
私は対岸から舟を漕いできたおばちゃんに乗せてもらって、対岸にすぐ着いたのですが、元同僚のソリが、自分で漕いでみると言ってきかず、一人で川を渡りました。ところが、オールをどう使っても刳り抜き舟は前に進まず、両岸で見る人たちの笑いの種になりました。
しかし、ソリは素知らぬ顔、おばちゃんが1分もかからず渡った川を、10分もかかってやっとたどり着いたものでした。


ところで、このプノンペンのボートレース用の舟は、刳り抜き+板張り(船尾のあたり)舟だったのでしょうか?そんな目でしっかり見たことがありませんでした。
いつもは、舟を格納する長い倉庫にしまっておいて、1年に1度だけ、メコン川とトンレサップ川の合流しているところで、何艘もで速さを競う壮大なレースで、私の働いていた事務所でも舟を1艘持っていて、毎年参加していました。
この年は、残念ながらひっくり返ってしまいましたが。







2 件のコメント:

rei さんのコメント...

何と言う事でしょう。一昨日、白老のウポポイ(国立アイヌ民族博物館)でこのアイヌの丸木舟を見て来たばかりです。場内に有るポロト湖では、船を漕ぐ実演も観られました。
極寒の地での、カムイ(神)とアイヌ(人間)との独特な関係性の文化など知る事ができました。

北海道の植民地政策で犠牲を強いられてきたアイヌ。1997年まで「旧土人保護法」が存在していた事に驚きましたが、関心は有ったものの、知識の薄さを反省しました。

このウポポイがオリンピックに合わせた計画であった事などから、観光を中心とした表面的な「共生」に過ぎないとの批判も有る様です。

人形の土産物は見当たりませんでした。土産物も時代の変化に敏感な様です。

さんのコメント...

reiさん
わぁ、北海道に行ったんだ!すごい偶然でしたね。
私は、1994年に札幌で開催された「全国牛乳パックの再利用を考える連絡会」の全国大会に参加したとき、基調講演をした萱野茂さんの、和人がアイヌにしたことのお話を聞いて震え上がり、二度と北海道には足を向けられないと思っていました。ところが昨年、のらさんのおかげで道北を訪ねることができて、北海道に対する緊張が少し解けたものでした。
かつて、アイヌの男性たちはみんな木彫りをしたものでしたが、今では木彫りのできる人は減っています。というか稀少になっているので、木彫りのお土産はないでしょうね。クマなんかも、遅くとも1960年代くらいまでではないですか。