2023年6月22日木曜日

『常次郎氏の春夏秋冬』


先日コメントをくださった本田さんが紹介してくれた、『常次郎氏の春夏秋冬』(朝日新聞金沢支局、朝日新聞社、1986年)を読みました。
朝日新聞金沢支局の記者が伊藤常次郎さんの1984年4月からの1年間の生活を追って、新聞に連載したものをもとに加筆した本で、最近は寝る前に本を読もうとしてもすぐに眠くなってしまう私でも、すいすいと読み進められた、興味深い本でした。

常次郎さんは、1922年に石川県の小原村で生まれました。満州の開拓団に参加、そこで大工仕事を身につけ、終戦後は静岡県磐田に入植、大工のかたわら農業を営んでいましたが、故郷が大日川ダムの建設によって湖底に沈んでしまうことを知り、昭和20年代から故郷の民具の収集をはじめました。
最初は親や兄弟から焼き畑農耕具などをもらい受けるだけでしたが、尾小屋鉱山が閉鎖し、手取川総合開発計画が策定されて、尾口村と白峰村の330戸が水没することを知ると、トラックやジープで過疎化の進む各集落をまわって、鉱山用具、養蚕用具、炭焼用具、生活用具などを購入するようになりました。


1968年に大工をやめ、磐田を引き上げてからは、小松市に古民家を購入して移り住み、長兄に教えを請いながら、次兄夫婦とともに焼き畑と採集を中心に据えた、自給自足的な山村生活を送ります。
そんな常次郎さんの春夏秋冬は、農作業、炭焼き、採集などのほかに、何万点にも及ぶ膨大な資料を寄付した加賀市や小松市での、昔の生活を再現したイベントが加わり、楽しいながらも目が回るような忙しさです。


焼き畑も採集も適期を逃せません。山菜採りもきのこ採りも、スゲもガマも収穫期は短い。ガマは二百十日以前に刈ると繊維が若くて弱く、遅すぎるとカサカサで、脆くなってしまうので、農繁期でありながら適期を逃すわけにはいきません。

常次郎さんが編んだガマのエゴ

『常次郎氏の春夏秋冬』の中で、ちょっと気になったのは記者さんの認識です。

☆☆☆☆☆☆
 ここで断わっておかねばならない。「焼き畑農業」といえばジャングルに覆われた山々を一度に焼き尽くしてしまう東南アジアの焼き畑を思い浮かべる人が多い。それはランドサットから炎の赤い帯が観察されるほどに大規模で、地力を吸いつくしていくことから世界の緑を破壊する元凶の一つとされている。しかしかつて白山麓の各地の村で行われ、今常次郎氏が取り組んでいる焼き畑は、それとはまったく異なるものだ。
☆☆☆☆☆☆

もう一か所でも、東南アジアの焼き畑を非難していましたが、それはちょっと言葉足らずかもしれません。東南アジアの大規模な焼き畑の背後には必ず、日本も含む外国の企業がいて、焼いた土地でキャッサバ、ゴム、アブラヤシなどの換金作物栽培が行われたのですが、それは札束で顔をひっぱたかれたり、追い詰められたりして、他の道を絶たれた農民が行なったことで、東南アジアでも行なわれてきた伝統的な焼き畑とは、厳密に区別する必要があります。
東南アジアの伝統的な焼き畑も、日本の焼き畑に引けを取らない、何世代も持続的に続けられてきた、環境を破壊しない農法です。

歴史の教科書では、人が狩猟採集から農耕牧畜へ、そして現在の都市的な生活(お金があれば何でもできる社会)へと進化してきたと語られてきました。しかし、狩猟採集生活を見た私には「人が生きる」ということにおいて、これは進化ではなくて退化だったと思われて仕方ありません。
というのは、私もたった10年ですが田んぼをつくってみて、農業は頑張ればできるかもしれないと思いましたが、サラワクの狩猟採集民や焼き畑農耕民の方たちと過ごしたときは、これは逆立ちしても狩猟採集民にはなれないと痛感したものでした。
彼らと熱帯多雨林の中で過ごしたとき、360度同じに見える熱帯林の中で道に迷わず、幹に水の入った木を見つけたときは切って、水を飲ませてもらい、
「猿だ!」
と樹上を見上げ、私にはどんなに目を凝らしても姿が見えない獲物を吹き矢で仕留めて、火を起こして焼いて食べさせてもらい、コウモリのいる洞穴では、寝ているコウモリを驚かせて捕まえて食べさせてもらい、村に着いてはサゴヤシのでんぷんを食べさせてもらったとき、あまりにも生きる知恵も技もない自分に呆然としたものでした。
逆に、彼らが都市生活をし、スマホを使いこなすのは簡単です。1カ月もあれば馴染み、数年で何でもこなせるようになり、それまで都市生活をしてきた者とかわらなくなります。つまり一方向へは簡単に行けるけど、逆方向へは、幼いころからの長い経験がなければ行けない、自然と対峙したとき、受動的な生活をしてきた者は、何もできないのです。
『常次郎氏の春夏秋冬』に、焼き畑に適した土地と適してない土地という記述がありますが、熱帯林の中にも肥えた土地と瘦せた土地があり、定住して焼き畑をしている人たちはそれを熟知しているというのも驚きでした。

さて、伊藤常次郎さんが心血を注いで残そうとした資料は今どうなっているのでしょう?
小松市立博物館の方は、所蔵品をたとえば「伊藤常次郎」で検索すると、常次郎さんがつくった「人生儀礼」で使うものが、「エゴ」で検索すると常次郎さんが収集したものが出てきますが、常次郎さんが「生きた山村生活の再現」に力を入れていた加賀市中央公園は今、無国籍のテーマパークのようになっているし、「博物館」そのものの存在も、ネットで調べる限り見当たりません。
加賀市は、2007年の能登半島地震では大きな被害を受けたようです。






4 件のコメント:

本田 さんのコメント...

春さま

『常次郎の春夏秋冬』読んでいただきありがとうございます。
これぐらいしか伊藤さんについてまとまって書かれたものがありません。

これが書かれた当時(といってもわたしもダイレクトには知らないのですが、朝日新聞とっていなかった)、
焼き畑が環境破壊の原因と大々的に言われていたので
新聞記者さんも伊藤さんの焼き畑擁護のために書いただけかと思います。
ただ、東南アジアの焼き畑について記者さんがご存じであったかどうかはわかりませんが。

手取川流域の民具は伊藤さんが収拾された白山麓西谷(大日川流域)の資料の他に
牛首川流域(こっちが本流)の資料があり、白山ろく民俗資料館に収蔵されています。
が、伊藤資料も白山ろく民俗資料館資料も今はあまり状態がよろしくありません。
伊藤資料2件と加賀市と民俗資料館は収蔵庫が建てられたのですが、40年以上たって
廃校となった学校に収蔵されているよりはましといったところです。
小松市の資料は伊藤さんが生まれた小原という集落が小松にあるということから、
伊藤さんは一番いいものは小松にやったといわれていました。
これは博物館に収蔵されていたのですが、外に出され、
多くは新幹線高架下の倉庫にいれられているそうです。
手取川流域の資料は一部、県の歴史博物館に収蔵されていたのですが、これも
収蔵スペースの関係で、能登の廃校になった高校に移されました。
いずれも重文ですが、重文ですらこの通りです。
加賀百万石、前田さんの資料は伝統工芸ということで大事にされますが、
それ以外の資料は顧みられることはないようです。

伊藤さんにかかわる調査報告等は、春夏秋冬にも出てくる
天野武さんや伊藤さんの家に通い焼き畑の話を聞かれた橘礼吉さんの著作があります。
また、白山ろく自然保護センターというところが伊藤さんの焼き畑を調査した報告があります。
他に、田舎暮らしの本という雑誌に特集が組まれたことがありました。
映像資料に『天狗の住む山』というのがあるのですが、以前、川崎市民ミュージアムが
地方局の映像を収集して流していたことがあって、そこで上映されていたようなのですが、
現在どうなっているのかわかりません。

遺跡の調査をやっているときに、弥生時代の遺跡から出土した
木製品を伊藤さんに見てもらったことあります。

伊藤さん、一目見るなり、これはかけやや、わしらもようやるんや、
ここに柄がおれた跡があるやろ、ここ見てみい、年輪が二つみえるやろう、こっちは一つや、
木の股になったとこ使うんや、木の股になったところは年輪が入り組んでいて割れにくいんや。

言葉がありませんでした。



さんのコメント...

本田さま
博物館も一般の人も、長い年月をかけて作りあげられた民具をないがしろにして、生活から切り離された「作品」の方を珍重すること、残念と言えば残念です。
できたら、白山ろく民俗資料館に行ってみたいのですが、けっこう辺鄙なところにありますね。8月末には岐阜まで行くのですが、そこから足を延ばすのは無理だろうなぁ(笑)。

本田 さんのコメント...

春さま
岐阜はどちらまで行かれるのでしょうか。
車で行かれて南の方であれば、ぜひ徳山民俗収蔵庫まで足を延ばしてください。
私も行ったことはないのですが、楢で作られたかごがあるはずです。
私が徳山の資料を見に行っていたころは、まだ徳山ダムができる前で、藤橋村歴史民俗資料館でした。
福井県の池田町から山越えで、揖斐川を下るルートでした。ダムができてからは行ってません。
白山ろく民俗資料館は車でないと行けません。夏なら白山登山のバスがあるので、白山から下山した方が、
バスの時間つぶしによく来られていました。
東海からは今は東海北陸自動車道があるので割と近くなりました。
福井県側は今、高速道路建設中です。そのうち楽に行けるようになると思います。

さんのコメント...

本田さま
いろいろありがとうございます。
今回は、美濃市にある学校で夫が講義するために行くのに、私はついて行くだけなのですが、夫は事前は準備でいろいろ緊張しているだろうし、事後はリラックスしたいだろうしで、私につき合わせることはできないと思います。行くとなるともう1泊する必要がありますし。
以前は関西までも山陰までも車で行きましたが、最近は新幹線を利用しています。徳山民俗資料収蔵庫に行ってみたいのはやまやまですが、年取りすぎました(笑)。
いつか行ってみたい気がしますが。