2023年5月25日木曜日

日向ぼっこ


先代の猫トラは、陽が当たっている場所が大好きでした。
マルもトラと同じように、陽だまりに吸い寄せられます。


「気っもちいい!」


朝の至福の時です。


ところで、タマが日向ぼっこをしているのは、あまり見たことがありません。


ときおり一緒に遊んでいますが、最近はほとんど別行動です。


と、タマが珍しく陽だまりにやってきました。


「どう?陽だまりの気分は?」
「.....」


すぐにいなくなってしまいました。


日の当たる場所は、見る見る動いて行きます。








 

2023年5月24日水曜日

『家をまもる』


世界中の家を写真に撮っていらっしゃる小松義夫さんは、写真集だけでなく絵本もたくさん出されています。
『家をまもる』(たくさんのふしぎ、福音館書店、2022年)もその一つです。
表紙は、地震の多いインドネシアのニアス島の家の写真です。


ニアス島の村には、高床で楕円形の家が建っています。室内の壁に沿ってぐるりとベンチをしつらえている、風が吹き抜ける快適な家ですが、特徴的なのは床下にはたくさんの太い筋交いが入っていて、家を地震から守っていることです。
2005年の大地震(マグニチュード8.6)でも、屋根は多少壊れた家があったものの、建物自体はびくともしなかったそうです。
家が倒れると困りますが、屋根は軽い材料でつくってあり、問題なくすぐ修理できます。


インドのジョードブルでは、町の半分以上の家の壁が、虫よけになるという藍で染められています。
今では藍ではなくて化学的な塗料を塗った家もあるそうですが、色で家を守ってきたのです。


イタリアのプロチダ島城塞都市は、崖で家を守ってきました。


中国江南省の菊径村は、水と壁で家を守ってきました。


左ページはスペインの、右ページはポルトガルのネズミ返しのついた石の穀物蔵です。
穀物は命の次に大切なもの、ネズミに見食い荒らされないように、ネズミ返しをつけて守ってきました。それにしても、石でつくるとはすごい!


これらの穀物蔵は私にはおなじみ、といっても実際に見たことはありませんが、大好きな本Architecture without Architects』(建築家なしの建築、Bernard Rudofsky著、1964年)に載っていて、印象に残っていました。


また、アフリカや東南アジアではネズミ返しのついた穀物貯蔵庫をいっぱい見ました(残念、写真はすぐに出て来ませんが)。

奈良の竹取公園住居広場

ネズミ返しは古代には、唐招提寺経蔵など日本のあちこちにありました。また、形は違いますが、近代にもネズミ返しがつくられたようです。



上の写真は、雨季には増水して溢れる、カンボジアの遊水地に建った、水から守る家の、乾季と雨季の様子です。
カンボジアには遊水池がたくさんありますが、トンレサップ湖は最大の遊水池で、プノンペンでメコン川と分岐し、サップ川となってつながっています。メコン川は雨季と乾季では水位が約8メートル違うので、乾季には、サップ川は湖からメコン川へと流れ出し、雨季には湖へと流れ込みます。というわけで、雨季と乾季の境目にはサップ川の水の流れが数日止まってしまいます。

さて、地震、虫、ネズミ、水などから守る知恵のある家にはなるほどと思いますが、人から守るためにつくった家には、住む人に「襲われる理由がないのか?」とか、「貧しい人を足蹴にして自分たちだけいい目を見ようと思ってないのか?」など、つい疑いの目を向けたくなり、心から共感できないところがあります。紹介しませんでしたが、この絵本の中にも、復讐から守る石の塔がたくさん建っている村というのもありました。復讐されるようなことをしているのです。
ヨーロッパ、中東などでは、当たり前のように城塞都市をつくって、塀で囲まれた人々だけを守ってきました。賊や敵が来ても城壁で守ることができましたが、農民などは常に壁の外に置かれました。
もっとも、旧市街と呼ばれる城壁の中の家々は、どこもとっても美しいものなのですが。




 

2023年5月23日火曜日

縦じま模様のビン


カンボジア土産のハチミツの容器は、ハチミツが入っているときは気がつかなかったのですが、 縦に細い縞模様になっています。初めて見ました。
どこでつくられたビンでしょう?
タイ、ヴェトナム、中国、そんなところでしょうか。


同じころいただいた日本産のハチミツは、まだ開けていませんが、六角形のビンに入っています。日本ではよくある形のビンです。


手づくりのコチュジャンをもらった乳白色のビンは八角形です。
乳白色は中身が見えないのであまり再利用しないのですが、かわいいので捨てられません。


蓋が直径5.5センチのビンで、胴がシンプルに丸いのはないかと探すと、空きビンは見つからなかったのですが、冷蔵庫の中に幾つもありました。とくに桃屋のビンが多かったのですが、蓋に模様があること、中ににんにくが入ったものが多いことなどから、桃屋のビンは再利用することはなく、すぐ捨ててしまいます。
このイチジクジャムのビンは、蓋より胴が太くつくられています。写真に撮ってみたら消費期限が切れていました。急いでトーストに塗って食べてしまいました。


小さくてかわいいビンは、一通り手元に残していますが、ジャムをつくるとき、口が狭いので入れにくく、もっと大きいビンや、容量は大きくなくても口が広いビンを使いがちです。






2023年5月22日月曜日

畳替え

 
我が家の居間には畳を敷いてありますが、敷いてから14年、畳が擦り切れているだけでなく、木綿の縁も擦り切れてしまっていたので、畳屋さんに表と縁を取り替えて貰うことにしました。


先日、下見にきた畳屋さんが、
「日本産の畳表にしますか?」
と尋ねました。
「中国産のとどんな違いがあるのですか?」
「日本産の方が脂分を含んでいるので、イ草が割れにくく、傷みにくいです」
というわけで、熊本産の畳表にしてもらうことにしました。また、縁はこれまで木綿でしたが、色褪せただけでなく擦り切れてしまっていたので、新しく混紡にしていただくことにしました。
今朝、畳屋さんがお弟子さんと、跡を継ぐことになった若い息子さんと3人で来て、畳を持って帰りました。

その昔は、暮れの大掃除などで畳をあげて掃除していましたが、昔の畳は人力で詰めものをしたので、一般の人でも持てるほど軽かったのに比べて、今では機械で圧縮するので、畳屋さんでなくては持てないほど重くなっているそうです。


さて、午後遅くに、新しくなった畳が運び込まれました。


イ草のいい香りが漂います。


全部嵌めてから、古い畳表を切ったものを畳の下に敷きながら、ちょっとした段差をなくします。


古い畳表を切るのは包丁のような刃物で、畳は玄能で叩きながら高さの違いを見ます。


縁の色も濃すぎず、ちょうどいい色でした。


畳表には二つ折りにした小さな紙がはさんでありました。
中国産の畳表を熊本産と偽って売りつける人がいるので、熊本の畳表には熊本産であることと、生産者の名前を書き込んであるのです。

畳屋さんはもともと東京で商売をしていたのですが、おじいさんの代、つまり東京大空襲の後でしょうか、石岡に越してこられたそうです。十数代続く畳屋さんで、畳屋さんにも歴史ありでした。






2023年5月21日日曜日

飛んだり跳ねたり


M+MのMちゃんと骨董市に行きました。
まことさんのお店に敷いてあった綴れの敷物、素適な生命の木が織られています。木綿ですから、インド?パキスタン?アフガニスタン?
模様から見るとウズベキスタンかなとも思いましたが、ウズベキスタンにも木綿がふんだんにあったでしょうか?


木綿ですから使い込まれて破れたりもしていましたが、それをパッチワークで修理しているのもかわいいラグ、草木染めも素敵でした。


さて、おもちゃ骨董のさわださんの店で木地玩具を買いました。


棒の下を握ると、人形がでんぐり返しをします。
日本にもこんなおもちゃがあったんだ!
日本の木地玩具(菅野新一監修、薗部澄写真、季刊「銀花」編集部編、文化出版局、1977年)にも載っていません。


おんなじ原理で、下の方を握って締めると飛んだり跳ねたりするのはメキシコのおもちゃです。


さて、さわださんは同じおもちゃを2つ持っていたのですが、1つは棒が折れて壊れていました。
「直してあげようか?」
「えっ、いいの?」
「1か月後になるかもしれないよ」
「いいよ」
ということで預かってきました。
棒を切り取り、ドリルで穴を開けて、竹の割りばしを突っ込んでみました。
もうちょっと頭を使えばよかった、穴を直角に開けてしまったので、そのまま押し込むと棒2本が並行になり、人形が棒の間に収まらないことに、ボンドをつけてから気づきました。


もとの状態も、ボンドをはみ出すほどに使っていたのですが、私もボンドを足して角度をつけました。無理やり広げたりしなければ、これで持つかと思います。

というわけで、来月ではなく、今日お渡しすることができました。
善行はするものです。まことさんのお連れ合いからは、お客さんからいただいたというメロンをいただき、


さわださんからは、直径2.5センチほどの絹に顔を描いたクルミボタンをいただきました。帽子をかぶっているか、スカーフを巻いたモガでしょうか?
これって、どうやって使うのでしょう?
お人形をつくったのかもしれません。

余談ですが、まことさんの店の生命の木の敷物、売れていました。私が見てからわりとすぐ売れたそうでした。




 

2023年5月20日土曜日

かるい

先日、福岡にお住いのblueskyさんから、飯干五男さん(1928-2017年)のつくられた「かるい」をもらってくれないかという連絡をいただきました。
このかるいは、1975年に結婚されたblueskyさんへ、友人の方がお祝いの品物として注文してくださったもの、ずっとご実家に飾られていたのですが、このたびご実家を整理することになり、どうしたらいいかと思案している中で、私を思い出されたのだそうでした。
かるいなら、飯干さんの下で3年修行された小川鉄平さんにつくっていただいたのを持っています。 私も命に限りがあり、家はものであふれかえっており、いただくことを躊躇する気持ちもありましたが、blueskyさんのかるいもたくさんの籠仲間たちと一緒なら嬉しいのではないかと、ありがたくいただくことにしました。


これが、blueskyさんのかるいです。


そして、こちらが小川鉄平さんにつくっていただいたかるいです。似ていますが、銅のくびれなど、小さい違いがあるようですが、単に個別の違いかもしれません。


2016年に東京のギャラリーKEIANで、小川さんが話されたとき、廣島一夫さん(1915-2013年)のかるいと飯干さんのかるいの違いについても話されました。ブログにはそう書いてあるのですが、残念ながら、肝心の違いが何だったかは書いていません。


さて、底からぐるりと回してある補強用の竹は、編み上げてから最後につけるものです。
飯干さんのかるいは、補強用の竹を針金で留めてありますが、小川さんのかるいは針金を使っていません。


ネットで飯干さんのかるいを見ると、針金を使ってないものが出てきます。

『A Basketmaker in Rural Japan』より

そして、廣島さんのかるいにも、針金で留めてあるものと、

同上

竹で留めてあるものがあり、どちらも1987年の作です。
飯干さんのかるいづくりのYouTubeがあったので、それも見てみました。1時間を超える長い動画でとても興味深いものですが、かるいを編み上げたところでYouTubeは終わっていて、補強用の竹と背負い紐をつけることろは省略されています。


『A Basketmaker in Rural Japan』には、廣島さんが補強用の竹を、緯材に差し込んでいる写真が載っています。とても力の要る作業に見えます。
まったくの憶測ですが、もとは誰もが針金で留めていたところ、もっと美しく仕上げようと工夫され、緯材に差し込むようになったのではないのでしょうか。


blueskyさんにいただいたかるいを小川さんのかるいの下に吊るそうと、命綱まで張って柵の外に出て、梁に釘を打ち、タコ糸で吊るしてみましたが、かるいのどこに糸を掛けても傾いてしまって、まっすぐに吊るせません。


というわけで、こんなところに収まってもらうことにしました。


廣島さんがかるいをつくられている写真です。
縁として入れた竹の輪の内側の竹ひごはすべて下に差し込んでしまって、これから外側の竹ひごを、下に向けて差し込むところです。