2014年8月10日日曜日
月が昇った
今年の初め頃だったか、ディナー・プレイトの一枚の、縁が大きく欠けているのが見つかりました。
がっかりしましたが、仕方ありません。しばらくは、割れたままにしておきました。
同じものがあと五枚あるし、別のディナー・プレイトもあるので、割れたお皿を使わなくても不便することはありませんでしたが、目にするたびに気が滅入りました。
いつまでもこのままというわけにもいきません。
これは田鶴濱守人さんのお皿です。同じお皿を買おうと思えば手に入ります。
「どうしよう?」
もう一枚買い足すかどうか迷っていたら、ほん陶さんを思い出しました。すぐ思い出さなかったのは、その前に安い小鉢の修理を見積もってもらったら、派手に割れていたせいもあって修理代が高く、修理を諦めて泣く泣く捨ててしまったことがあったからでした。
もし、新しいお皿を買う値段より安く修理してもらえるなら、欠けたお皿を捨てなくていいので、一番気持ちがすっきりします。試しに、ほん陶さんにお皿の写真を送ってみました。
すると、新しいお皿を買うのの約半額でなおるとの返事をいただきました、
「やったぁ」
すぐに送りました。
そのお皿が、送り返されてきたのです。
このお皿は黒いので、金ではなく銀継ぎにすると、銀が次第に黒ずんでくるのでいいのではないかとのことで、銀継ぎにしていただいたものです。
割れてがっかりしていたのに、素敵に生まれ変わっていました。
今は輝いている銀色が、次第に渋くなるのも楽しみです。
なおしたところはまるで月が昇っているよう、手前の点は、さしずめ星と言ったところでしょうか。
ほん陶さんには、いつもお世話になっています。
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4 件のコメント:
いい話ですね、
まるで上弦の月が顔を出したようです。
昭ちゃん
間に合わせに買った割れても惜しくないものはいつまでも割れず、割れないで欲しくて大切にしているものに限って割れたりします。
金継ぎ、鋳掛屋(今はないか、笑)などという仕事は本当に素敵ですね。残念ながら漆にかぶれてしまう私は、手も足も出すことができませんが。
「鋳掛屋は すてっぺんから煙草にし」
こんな江戸時代の川柳がありますね、
子供のころは路地裏の商売です。
あざやかな手つきでかしめたり、
焼き接ぎをしたり、注文取りは私たちの仕事です。
この時代(昭和初期)大人は子供相手にいろいろ話しをしてくれたし、
子供も耳学問で成長した貧しくてもよき時代でした。
昭ちゃん
路地裏が消えてしまったのが、ガキ大将が消えたことにつながり、ガキ大将が消えたことで、子どもに「社会性」がなくなったようですよ。まあ、時代はどんどん変化していますね。
私だって、小さい時にはお使いをはじめ、大人のお役に立つことをしていました(笑)が、その過程で大人世界を垣間見られて、面白かったです。
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