息子一家が遊びに来ました。
息子の連れ合いのあっちょが、夫の快気祝いにお赤飯をつくってきてくれました。
南天の葉っぱが、お赤飯の上に置いてありました。
小さいころ、一緒に暮らしていた祖母がお赤飯をつくると、親戚の家、隣近所、お世話になった人などに持って行くのは小学生の私の役目でした。
重箱に蓋が閉まらないほどお赤飯を詰めて、その上に南天の葉を乗せました。
重い思いをして、届けると、その当時は、空になった重箱にマッチをひとつまみ入れて、返してくれるのが習わしでした。
たまに、
「重かっただろう、よく持ってきてくれたなぁ」
と、おだちんにお菓子や飴をくれる人もいましたが、そんな人は少なかった気がします。
「南天はどうしたの?」
「それが、吉池(スーパーマーケット)で売っていたの。大きい枝を想像していたんだけど、小さいのしかなくて」
そうか、あっちょが小さい枝を組み合わせて、大きい枝のように見せていたのです。
「前は、どこの家からも南天があったような気がしたけど、最近全然見なくて」
あっちょは、生まれも育ちも東京です。
「重箱だけじゃなくてお皿にも置くから、わざと小さいのをつくっているんじゃない?」
「そうか、農家はつくらされて大変なんだ」
うちの南天の葉っぱを採ってきて比べてみました。
全然大きさが違います。どうやって、こんな小さなはっぱをつくれるのでしょう?
「お赤飯に南天を乗せるのは、全国的な習慣なのかしらねぇ」
今まで、深く考えたこともありませんでした。
「南天は防腐の意味もあるらしいけれど...」
とあっちょが言いかけたら、はなちゃんが、
「難を転じて福となす」
と、わきから言います。
おっと、一年生も知っているのに、この私、「なんてん」を置く意味を知りませんでした。
では、お返しにマッチを入れてくれるのにも、何か意味があったのでしょうか?
4 件のコメント:
マッチのお返し懐かしい思い出です。
冬になるとヒイラギに鰯の頭を玄関に、
新春大吉を柱に反対に貼る、
斜めに貼った貸家の貼札は入りの字になりますね。
こちらにきて驚いたことは
ハランの葉で包む握り飯と鯨の刺身です。
もう昔話です。(笑い)
昭ちゃん
「なんでマッチをお返ししたのでしょうねぇ」と他人事の顔をしないで、調べてみました。
附木(つけぎ)=硫黄=祝うの意で、転じてはマッチを入れたのだそうです。知らなかった!当時、そんなことを知ってやっていた人がいたのでしょうか?今では、そのマッチも家庭で目にすることがなくなりました。
南天同様、どこの家にもハランがありました。しかもたいていお手洗いの裏とかに生えていて(笑)、必要な時に切ってきては使っていました。握り飯は包まなかった、竹の皮を使いました。東南アジアのバナナの葉といい、竹の皮といい、ハランといい、本当に便利です(でした)。
ところで、南天の葉は、ほぼ一昼夜過ぎたのに、まだしなびていません。ハランも長持ちしたかしら?みんなに愛されたわけがわかります。
由来よく調べられましたね、
ハランは九州に来て知りました。
昔は肉屋は竹の皮で端を裂いて手際よくくるくるっと、
魚屋は経木でしたね。
六本木の同級生の家は有名な「竹皮問屋」でした。
昭和10年の写真にあります。
戦時中は燐が少量なので着火と同時に
臭い煙が、、、
昭ちゃん
調べ物は最近はコンピュータ様様ですね。便利になりました。
そう?関東にはハランがなかった?でも、今でも駅弁などに緑色のビニールのギザギザに切った、ハランもどきが入っていますよね。
さっそく調べてみました(笑)。ハラン(葉蘭、馬蘭)は九州の島々原産らしいです。そして今では高級料亭、高級寿司店で使われているそうです(笑)。
竹皮もそうですが、経木は至る所で使われていましたね。先日UPした藤戸まんぢうも経木に包んでありました。厚めの経木と紙でできた箱に入った、停車した汽車に売りに来るアイスクリン、駅でしか売っていないアイスクリン、美味しかったですね。牛乳と卵の黄身の味がしていました(^^♪
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