アカクミは民具なので、『八郷の日々』にUPしようかどうか迷いましたが、海のものはなんとなく向こうに、という気分があります。
ところで昨夜、夜中に目が覚めました。
夜中に目が覚めると、いろいろなことが頭に浮かびますが、ふと気がついたら夢だったり、夢だと思ったら実際のことだったり、夢と現実の両方にぼんやりと行き来しているうちに、また眠りに落ちます。
昨夜もそんなことをしていると、マレーシアの、これまで穀物をすくうスコップと思っていたものが、アカクミだったのではないかという考えが、突然浮かんできました。
「あれっ、何からそう思ったんだろう?」
と、そのことにたどり着いた経緯を考えてみましたが、何もかもぼんやりしていて、わかりませんでした。
さて、朝が来て、そのスコップを取り出してみました。
ボルネオ島サラワクの、バラム川岸にある小さな町マルディの市場で見つけたものです。
今では、マルディまでも道ができているそうですが、私がサラワクに行っていた25年ほど前には、陸はすべて熱帯林に阻まれて、交通手段としては、川を走る船しかありませんでした。もちろん、そこに住む先住民の人々は、熱帯林の中を縦横に歩いていましたが。
熱帯林の中を歩けない人は、マレーシアの首都クアラルンプールから、サラワク州の州都クチンまで飛行機で行き、クチンで20人ほど乗れる小型飛行機に乗り換えてバラム川河口の町ミリまで行き、ミリからスピードボートでバラム川をさかのぼり、やっとマルディに到着しました。
ボートの所要時間は、古いことでうろ覚えですが、四、五時間だったでしょうか。
そんなマルディの町に、川沿いに一列に店が並んでいる小さな市場があり、そこで手に入れたものです。
穀物をすくうスコップにしては大きいなと思っていたのですが、これがアカクミだとすると、合点がいきます。穀物と言ってもお米が主ですから、お米の袋にこのスコップを突っ込んで使うのは、ちょっと大きすぎます。
長さ33センチ、幅22センチありますが、立てると場所を取りません。船しか交通手段のなかったマルディの町で、これはアカクミだったと考える方がすっきりするような気がします。
マルディは当時、さらに上流の村々へと向かう船の、船着き場としてにぎわっていました。船着き場からは、出発を知らせる汽笛の、大きな音がしょっちゅう聞こえていました。
ミリからマルディまでは、屋根と窓つきの、真ん中が通路で両側に二人ずつ座れる、お手洗いもついたスピードボートが行き来していますが、その先は、二人ずつ腰かけて、一応テント地の屋根はついているけれど、お陽さまも雨も容赦なく入ってくる、しぶきもかかるロングボートが、各方面、各支流へと走っていました。
今となっては、誰かにたずねようがありません。
この25年で、私たちの生活も変わったかもしれませんが、サラワクの人たちの生活は、激変しました。
サラワクの人々も、かつては木の舟とともに、手づくりのアカクミを使ったかもしれません。
でも、私が見たときは、小さな船も後部にエンジンを搭載した工場製品ばかりで、ついぞ木の舟は見ませんでした。
2 件のコメント:
おお、こんなブリキのあかくみもあったのですね。
それにしても、よくできています。
Shigeさん
やっぱりこれ、アカクミですよね。昨日まで、考えてもみませんでした。
寝てるのか起きてるのかわからないようなときに、これまで気がつかなかったことに気づいたり、忘れていたことを思い出したり、工作のアイデアを思いついたりします。
そのために、安心してよく寝られるときと、興奮して目が覚めてしまうときがありますが(笑)。
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