2016年6月5日日曜日

入れ子の福禄寿

骨董市で、入れ子の福禄寿を見つけました。
七福神の福禄寿ですから、もともとは中に六体、ほかの神々が入っていたものですが、すべて失われていました。

入れ子の七福神やだるまは、箱根でつくられ、売られていました。
それが十九世紀末にロシアに渡って、マトリョーシカ制作のヒントになったという説があります。

『マトリョーシカ大図鑑』(沼田元氣著、二見書房、2010年)より

実際、ロシアのマトリョーシカの一大産地、セルギエフ・パサードの玩具博物館には、当時の入れ子の七福神が今も展示されています。

福禄寿を手にしていたら、
「それ、中がないんだよ」
と骨董屋さん。
あればそれに越したことはありませんが、もともと七福神への関心がないので、なくても構いません。
それに、一番外側の福禄寿の丁寧な仕上げと違って、中はとてもあっさりと仕上げているものが、ほとんどです。
 

ひっくり返してみたら、マトリョーシカにはない、轆轤の爪の跡がついていました。
 

口のところは、現代のマトリョーシカと比べると、轆轤が、ずっと薄く引けています。
現代のマトリョーシカと比べるのはどうかと、古いものを引っ張り出してみました。右は、我が家で最も古い、セルギエフ・パサードのマトリョーシカです。
轆轤の雰囲気は、わりと似ていました。


この福禄寿の、もっとも特徴的なのは、お腹に「筑波山」と書いてあることです。
これまで、入れ子の七福神は、箱根でつくられ、箱根で売られているものだけだと思っていました。でも、これを見ると、他の観光地からの要請を受けて、他の地域のためにもつくっていたことがわかります。


仲間を失った福禄寿、これまで、どこで生き延びてきたものやら、単体であったため格安で我が家に来ました。
戦前のものであるということだけはわかりますが、それ以上はわかりません。








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