Kさんの家は大きな有機農家で、いつも数人の長期研修生や、 短期研修性がいて、長期研修生徒は寝食を共にしていました。
そのときも、全部で十人近くいたでしょうか。
インスタントコーヒーの空き瓶に入った白いものは、ヨーグルトでした。
少量残して牛乳を足し、温かい場所に置いておくと、またヨーグルトになります。Kさんの知人が、タネを中央アジアから持って帰ってきたというもので、私も小瓶をいただいてきて、以後、家でつくるようになりました。それまで、家庭でヨーグルトをつくりたいと思ったら、専用の容器や種を買ってつくる以外、つくれませんでした。
この、牛乳でつくれるヨーグルトは、それから数年もしないうちに、「カスピ海ヨーグルト」として一世を風靡しました。
私のヨーグルトづくりは、カンボジアへの赴任で中断しました。
三年間の赴任から帰ってまもない2001年の暮れ、元同僚のゆうこさんが、事務所で小さいビンを見せて、
「ヨーグルトがいる?」
と訊きました。もちろん、一も二もなくいただきました。
「Tさんにもらったんだけど、じつはあまりうまく固まらないの」
その横で、Tさんも笑っていました。
数年後、我が家にゆうこさんが遊びに来たとき、朝食にヨーグルトを出しました。
「えっ、あのときのヨーグルトをまだつくっているの?しかもちゃんと固まっているじゃない!」
そう、それからずっとつくり続けていたのでした。
朝、私たちと犬猫の分を取り分け、ビンにに四分の一から五分の一ほど残し、それに牛乳を足してよくかき混ぜ、今の季節なら調理台の上に置いておくと、夕方にはヨーグルトができあがります。
下の方が固まってきたら、それ以上発酵が進まないように冷蔵庫に入れておくだけの手間いらず、真夏はもっと短時間でできるので、うっかり冷蔵庫にしまい忘れると、分離してしまいます。
もっとも、分離したら水を捨て、新しく牛乳を加えておくと、またいつも通りにヨーグルトがつくれます。
いつぞや、母もヨーグルトをつくっていたことがありました。
仙台にいる妹にタネをもらったとのこと、
「言ってくれればよかったのに」
もっとも、私が勧めても、頑固な母はその気にならなかったかもしれません。妹の勧めはタイミングが合ったのでしょう。
母の作り方は、妹直伝かダイナミックで、一人暮らしなのに、牛乳パックにいっぱいつくり、たくさんつくるからたくさん食べていました。
「小さなビンにつくる方が楽よ」
と言っても、聞く耳も持ちません。
その後、
「ちいちゃんに、まだヨーグルトをつくっているのかとびっくりされた」
と言っていたことがあったので、二、三年つくっていたかもしれません。
妹はとっくにやめていたのです。
やがて、母もつくりすぎて、飽きて、やめてしまいました。
私はと言えば、中断はありましたが、二十年もつくっています。
その間、たくさんの人にタネを分けてあげました。その人たちが続けているか、とっくにやめてしまったか知りませんが、やめた人の方が多いかもしれません。
一番喜んでくれたのは、日本人と結婚しているハンガリー人でした。
「小さいころ食べた味。こんなヨーグルトが欲しかった」
と持ち帰りましたが、数年後に会ったとき、ヨーグルトは本当に嬉しかった、毎日つくっていると話していました。
以前は、ジャムや果物と食べていましたが、日本でも美味しいシリアルが流通するようになったので、目下シリアルと一緒に食べています。
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