2016年6月6日月曜日

作業棟の造作はまだはじまったばかりですが、母屋の玄関の階段回りに置いてあった大工道具などを、少しずつ運び出しながら、物置と化していた玄関の整理をしています。


「こんなところに置いてあった!」
母のミシンの引き出しのなかにあったものや、その周りにあったものなどを入れている箱が、大工道具に紛れていました。
藤戸まんぢうは、お饅頭が十個入る大きさの箱、懐かしい味が思い出されます。

岡山県の児島郡の藤戸(のちに倉敷市に合併)で、江戸末期に創業された藤戸まんぢうは、200年近く、こしあんを丸めたものに薄皮をかぶせた「藤戸まんぢう」だけをつくってきました。
薄皮が日をおくと固くなるため、長い間、藤戸のお店以外では手に入りませんでしたが、山陽新幹線が開通したころからか、岡山駅の売店でも手に入るようになりました。

私の両親は、倉敷に住む祖母が亡くなって以後も、なにかと倉敷に帰省する機会がありましたが、必ずと言っていいほど藤戸まんぢうをお土産に買ってきました。
いろいろ美味しいものも手に入るようになって以後も、子どものころから藤戸まんぢうに親しんでいた父には、特別の思い入れがあるようでした。

父が小さいころ、藤戸まんぢうは一つ十銭、私が小さいころは十円でした。
店では饅頭を店頭で蒸かしていて、蒸かしたてを竹の皮に包んで、竹の皮を割いたもので結んでくれたものでした。


母の持っていた藤戸まんぢうの箱にはミシン糸が、ブリキの箱にはミシン用の工具が入っていました。


ミシンの下糸ボビンにはいろいろな色の糸が巻いてあって、おおざっぱな母ですが、縫うものによって色を変えていたのがわかります。
ちなみに、あまりミシン仕事をしない私ですが、最近は。糸を布によって取り替えなくてもいいように、透明な糸を使っています。


工具箱に入っていたねじまわしは、祖母のミシンの備品だったのでしょうか、今では見かけない、素朴な形のものです。


そして、手芸用品店で使うボタンの箱も見つかりました。


箱の一面に見本のボタンを閉じつけて、何段にも重ねてあった箱です。
自分で服を縫う人がいなくなって、手芸用品店はすっかり少なくなりましたが、今でもボタンはこうやって売っているのでしょうか?


こんな箱、あんな箱。
母は早々と身辺整理したのに、私はその気もなく、こんな箱を目にした一瞬だけ、昔を思い出したりして、しまい場所をつくっては、いつまでも手元に置くつもりです。






2 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

ミシンの思い出はミシン油の匂いがする引き出しで
針だけつけてミシン目のついた切符を作って遊びました。
母は戦時中二列に縫える工業ミシンで、、、
上手でした。
どうして下糸がついて上がってくるのー(笑い)

さんのコメント...

昭ちゃん
ミシンの引き出しには、半球形の底をペコペコ押すと油が出る油さし、油をさした後拭く布などが入っていて、いつも油の匂いがしましたね。
祖母など、手入れが行き過ぎていて、縫いはじめは油取り専用布を縫って、針についた油を取ってからでないと、布に油が染みたりしました(笑)。
祖母は着物を着ていましたから、よく縫っていたのは襟にレースをつけた、真っ白な割烹着でした。割烹着は、誰でもつけていました。
足踏みミシンはリズムが愉しかったです。