2018年6月10日日曜日

バミレケ的生活

バミレケは、カメルーン中部のバミレケ地方に住んでいる、約90の集団の総称です。
人口は200万以上と推定され、各集団はバミレケと自称せず、所属する小王国の名を使っています。

一般に、アフリカの農村に住む人たちは、過酷な自然に寄り添って、静かに暮らしているというイメージがありますが、バミレケの人たちは、写真で見る限り、大いに愉快に暮らしているとしか思えません。
バミレケはハウサのように商売をよくする人たちですが、頼母子講が盛んで、都市に移り住んだ人たちも、頼母子講に加入して、盛んにやっているようです。
ちなみに、頼母子講(無尽)とは、そのメンバーからお金を集め、集めたお金を講のメンバーの中の、もっともお金を必要としている人に渡し、貰った人はそれを元手にして商売を始めることができるシステム、つまり相互扶助グループのことです。


お祭り用の衣装とはいえ、このにぎにぎしさには、度肝を抜かれます。


被りものは羽でできていて、象のマスクはビーズなどで縫い取りが施されています。
この被りものは畳めるもので、


上から見ると、こうなっています。


衣装は手織り布で、絞りの藍染めです。

国立民族学博物館蔵

バミレケ自身は布を織りませんが、交易で得た布や糸を使って、華麗なアップリケの衣装もつくります。
バミレケには小王国がたくさんあり、王たちがたくさんいますが、王国と言っても、私たちが想像する王とはちょっとニュアンスが違って、集団の長といったところでしょうか。

その昔、ガーナに住んでいたころ、アクラで国際博覧会のようなものがありました。
夫が勤めていた大学もブース(パビリオン?)を建てて学校の紹介していたので行っていたのですが、その開会式で、各地から集まった王たちの衣装のすばらしさには驚かされました。
大きな日よけの傘をさしかけられた王たちは、誰もが見事な刺繍やアップリケで飾った豪華な衣装を身に着け、おつきの人たちもきらびやかに飾り立てて、歌や踊りの集団を引き連れて登場してきたのです。私の人生で初めて見る、豪華絢爛な衣装たちでした。

また、王と言えば、こんなこともありました。
ガーナの北部を旅していた時、数人連れの男たちが道に飛び出してきて、車を停めてくれと合図します。停めると、とても急ぎの用事があるので、一人の人だけをある町まで送り届けてくれないかと言います。そして、その人は位の高い人だと念を押します。
物静かに道端に立っているその人は、普段着(といっても民族衣装)を着ているけれど、王さまのようでした。
私たちは王さまを車に乗せましたが、彼は終始無言でした。だいたい、位の高い人は、人前では直接口を利かず、必ずスポークスマンを介して会話をするのを知っていたので、私たちも話しかけたりしませんでした。
当時の車には冷房もなく、窓を開けているとはいえ、車内はかなり高温になっているのですが、手首足首を隠す衣装を重ね着して、帽子もかぶった王さまは、涼やかに座っていました。
やがて言われた町に着き、王さまを降ろして出発の準備をしていると、自転車に乗った人が満面の笑顔で手を振って通り過ぎていきました。誰かと見るとその王さまで、私たちが行く方と別の道へと、消えて行きました。
なんだかとっても愉快な気持ちになったのを覚えています。
王さまは、ちやほやされますが涼しい姿もできず、好きな時にしゃべることもできませんが、自転車に乗っているときはさぞかし解放感でいっぱいだったことでしょう。


さて、話をバミレケに戻します。
これは、木彫りの椅子をビーズで覆い尽くしたものです。
一事が万事で、すごい手間をかけてこんなものをつくるなんて、余裕ある、楽しい生活としか言いようがありません。


この、王さまらしき人の人の座る椅子もタカラガイで埋め尽くされています。座面にもタカラガイが貼られているとすると、座り心地がいいかどうかは、定かではありません。
それにしてもこの王さま、パパイア鈴木さんにちょっと似ています。


そしてバミレケの庶民の椅子は、王座に負けず劣らず、座り心地の良いものです。








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