2020年7月13日月曜日

泥娃娃


これは、『泥娃娃(にいわわ)、ふるい中国の子授け縁起人形』と題された、中国の土人形のカタログです。
天理ギャラリーで、1974年11月から3か月間開催された、「泥娃娃展」の図録で、4ページの解説と、19ページのモノクロの写真のページからなる、ごく薄いカタログですが、145体の写真が収録されています



1974年と言えば毛沢東がまだ存命中(1976年没)で、文化大革命の真っただ中(1966-1976年)のころ、本場中国では泥娃娃などの土人形は関心を寄せられるどころか、破壊すべきものとされていた時代でした
そのせいか、解説(天理参考館民俗部海外民俗担当スタッフによるものらしい)はとても小難しく書いてあり、マルクスなども引き合いに出しているのですが、何と言ったらいいのか、なかなか面白いのです。



「孔老中華の旧体制社会における家庭で、ことほどさように窒息状態におかれた、子なき愚夫庸婦の子を欲しい心情につけ込んで、ふるい中国に息づく民衆の現実的民間信仰の根幹をなす道教が、やしろ(宮、観、廟)への参詣と寄進とを誘致する策略的意図により、まんまと娃娃(=泥娃娃)の習俗を流行らせたのである」
などと書いてあります。また、
「北京の俗諺に、〈労して効なきこと・むだ骨折りすること〉を、〈娘娘廟裡娃娃(娘娘さまのやしろで泥人形と縁結びする)〉と言う」
などとも書いてあります。


泥娃娃は、かつて中国各地でつくられた泥人形でした。
子なき夫婦は、泥娃娃をお寺や道観(道教のお寺)に奉納して、子ども、とりわけ男子の誕生を祈願しました。子を授からないと離縁されることもよくあったので、女性は必死でした。
カタログにはまた、
「時代はすでに転変した。子授け縁起人形など、もう今日の中国にない」
と書き切っていますが、私の持っている泥娃娃は、そう古いものとは思われません。手に入れたのは1980年初頭ですが、70年代のものでしょうか。


山東省の犬抱き泥娃娃。


産地不明の泥娃娃。
抱いているのは、魚かザクロか、あるいはほかのものか、魚とザクロはどちらも多産の象徴として喜ばれるものです。



泥娃娃』のカタログには、ほぼ同形の泥娃娃が載っていました。
こちらは、持っているのは宝船のようにも見えますが、定かではありません。


花の描かれた泥娃娃は、山東省の河沢市でつくられています


この土産もの風の泥娃娃は、横浜の中華街で買ったような気がします。
日本に入ってくる土人形は、小さくて郷土玩具色を消そうとしたものばかりでした。

雪花新聞より

さて、1974年に発行された『泥娃娃』のカタログで、「もうつくられていない」と書かれている泥娃娃ですが、ネットで見ると今でもつくられているようです。
もっとも、子授け祈願の人形ではなく、愛玩用の人形としてで、本来持っていた意味は変わってしまっているのでしょう。



山東省の恵民県でつくられている泥娃娃。
こけしにもマトリョーシカにも通じるような色使いと模様です。



山東省では、毎年2月には市も立つようで、日本の市とほぼ変わらない光景です。


いずれにしても、美術工芸品ではない、庶民のつくる土人形には力強さがあり、人々の息吹が感じられるものであることは、中国のみならず、世界共通のようです。







8 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

あるお方がはるばる延安より東征をされた政策でしたね、
新しい農業政策などはライフに当時大きく報道されました。
古文調で書けば「いまわむかし、、、、」で
農地解放や地主の処分は半端じゃなかったです。
 姐さんの本題から外れてごめんなさい。

さんのコメント...

昭ちゃん
かまいませんよ(^^♪
『長征、毛沢東の歩いた道』という、写真家野町和義さんの本を持っていますが、古い写真や資料と、野町さんの写した、その地に暮らす人々の写真が混じっていて、文は野町さんの紀行文や、地元の人への聞き書きで、圧巻です。
そして、『毛沢東の私生活』上下巻も夢中で(笑)読んだことがありました。作者の李志綏さんは変死しましたね。すごい暴露本でしたから。
ほんと、あの頃も今も、隣国の事情は笑い事ではありませんが、そんな中でも人形など庶民文化に関心を持ち続けている人がいるのを見るとほっとします。

昭ちゃん さんのコメント...

さすが春姐さん」!!!  有難う
当時日本もチョット左寄りでしたね、人民裁判なる言葉も、、、
やはり農業は組織化より自由競争の市場ですね。

昭ちゃん さんのコメント...

追伸  もう一方今度は日本に帰られ党に復帰されたN氏
一説にはスパイだったとか、だから歴史の過程や評価って面白いです。

さんのコメント...

昭ちゃん
そんな~、日本が左寄りだった昔に読んだんじゃないです(笑)。1990年代かな、どっちも。
野町さんの本(文庫ですが)は、美しいですよ。そして野町さん自身は、左派ではないです。『私生活』の方は、凶作でも毛主席が来るとなると、別のところから稲を抜いてきて、鉄道沿いだけ植えるような、ちょっと前にどこかの国で行われていたようなことが行われていて、そのスケールが大きくて、びっくりの連続でした。

さんのコメント...

昭ちゃん
N氏とは、K党のN氏ですか?スパイだったことは間違いなかったようですね。
夫の父はN氏の親しい友人でした。父の代理で、夫と二人でご自宅に届けものをしたこともありました。
スパイ容疑が発覚したとき、夫の母は、父が亡くなっていてよかったと、安堵のため息を漏らしたものでした。父は正義感の強い人でしたから、生きていたら、N氏がスパイだったと知ったら、ものすごく怒り、悲しみ、大変だったことでしょう。
夫の母はK党が嫌いでしたが、N氏はとても穏やかな人でした。だからこそ、本当にショックでしたね。

昭ちゃん さんのコメント...

さすが姐さん凄いなー  またまた感嘆詞です。!!!
徳球さんと対象的ですからね。

さんのコメント...

昭ちゃん
今は昔、ですね。