2022年2月15日火曜日

整経中


右は、織物教室にあるかせ繰り機です。
糸をかせにしながら、1周が150センチなので、糸全体の長さの計算もできます。
左は日本の伝統的な糸車。緯糸(よこいと)を管に巻くだけではないと思うのですが、使っているのを見たことはありますが、どうやって使うのか覚えていません。


これは御光台(ごこうだい)と呼ばれるもの、先のかせ繰り機は、1周の長さが決まっているので、かせのまま洗って少し縮んだかせなどを、再び掛けることができませんが、御光台なら、畳んだ状態で縮んだかせを掛けて、ぎゅっと広げて使うことができます。それをかせ繰り機に巻き直して、ぴんと張った状態で乾かすなどということもできます。
私は折り畳み式のかせ繰り機を持っているので、それを御光台としても使うことができますが、2台を一度に使うことがあるので、御光台か、あるいは1周が150センチのかせ繰り機のどちらかをもう一つ持っていた方がいいということになります。
で、御光台は自分でつくろうと思って、寸法も計らせてもらったのですが、まだつくれていません。


私の紡いだ糸は、まったく汚い。糸がまっすぐではないのですが、それも織って仕上げれば味になるということで、220センチ長さのマフラーを織ることになりました。
経糸は全部で74本(70本でつくるつもりが、手違いで4本増えた)、濃い茶と白と濃い茶を混ぜてカードした「まだら」とを、アトランダムに配することにしました。
写真は、まだら糸を整経しているところです。整経台を織り機の上に括りつけて、動かないようにして使っています。
着尺のような長い反物は、壁に掛けた大きな整経台を使っていたのを、「からむし」の映画で見たことがあります。


糸を交互に上下させることを「綾を取る」と言いますが、これで経糸(たていと)の順番が決まります。綾を取ってないと順番はめちゃめちゃになってしまって、何もできません。
布を織ることで、「綾を取る」ことは欠かせない、最も重要なところです。


私がかつて習った織物は、整経方法が全く違っていました。
大きな整経機に巻いた経糸を、織り機の後ろの糸巻き棒に括りつけ、「織りはじめ」の端を綜絖(そうこう)を通して筬(おさ)を通して、前の布巻き棒に結んでいました。
ところが、Kさんの教室では糸の無駄を出さないために、「織り終わり」の方に、木綿の補助糸をあらかじめつけていて、織るたびに織り糸と結び合わせて使います。織り終わったら、補助糸を筬の前まで引っ張り出して切っておき、次に使うときに織り糸と結んで、短くなって使えなくなるまで何度も使うというわけです。
そうやると、織り終わりの糸の無駄を省けるだけでなく、綜絖通しも省けたりします。

今度私が使わせてもらう織り機は90センチ幅くらい、たくさんの糸が綜絖にも筬にも通してありました。ところが私が使うのは74本だけ、ほとんどの補助糸を、筬と綜絖から取り外しました。もちろん、補助糸の綾を取りながら外しました。後ろの方に2本並んだ竹の棒が見えますが、これは綜絖から外す補助糸の綾を取るために入れている、「綾棒」です。
そして、補助糸と紡いだ糸を結んだのですがその写真はありません。濃い茶の糸とまだらの糸を整経する日が違ったので、糸がなじむようしばらく置いてから、経糸を張ります。
さて、筬通しをしたり、綜絖を外したりしながら、
「織物全体の中で、織る作業に費やす労力は10%くらいかな?」
と私。
「うぅぅん。仕上げも入れたら、織る労力は10%はないんじゃないの」
とKさん。
そうそう、織りものをやったことのない人は、織りものと言えば、織り機の前で織っている姿を思い浮かべますが、織り機に経糸がかかったら、マラソンで言えばもうゴールのスタジアムが見えてきた感じかもしれません。


教室の壁にかかっている杼(ひ)。どこの杼か、訊こうと思いながらまだ訊いていません。









 

2 件のコメント:

hiyoco さんのコメント...

布を作る中で、経糸を並べることが全体の90%以上を占めるなんて考えてもみませんでした。布が長くなればなるほど大変ですね。大昔から人が服を着ていることがミラクルに思えてきました。

さんのコメント...

hiyocoさん
経糸(布)が長くなれば長くなるほど大変というわけでもないのですよ。糸さえあれば、綜絖通しとか筬通しの手間は一緒ですからむしろ、着尺など、整経の手間を省くために2反一緒にかけて緯糸で別のものを織ったりしました。まず、糸をつくるのが一仕事ですね。苦労しています(笑)。

そうそう、大昔から布を織っていたのは、ほんとミラクルです。だから最初は毛皮とか木の皮だったのでしょう。紐を編んだものも織ったものより古い地域もあります。日本もそうですが。
服は、暑さ寒さから身体を守るというより、それによって身分の違いを見せつける意味の方が大きかったというのも、すごい話です。Tシャツやジャージーが出てきてから、お金持ちも貧乏人も等しく似た服装をしている現代は、考えてみればまたミラクルです。「よそゆき」なんて死語になりました。私だけかもしれないけれど(笑)。
もっとも、ウイグル自治区のあたりで、糸の材料を収穫している人や、過酷な縫製工場で働いてくれている人あってのミラクルですが。