長崎の「鯨の潮吹き」を手に入れました。
学生時代に、わざわざ長崎まで行って手に入れた鯨の潮吹きは、気に入っていたので引っ越し荷物に詰めてガーナにまで持って行き、そこから日本に送り返さないで、さらにアメリカに直送もして飾っていた、「旅する鯨」でした。
おかげで、度重なる引っ越しで染料は剥げ、吹き上げている潮もなくなっていました。子どもたちが小さいときは、絵のモチーフにもされて、クレヨンで汚れた手で、乱暴に扱われていたものでした。
その小さな鯨の潮吹きは、しばらく見てなかったので、本体も失われてしまったかと思っていましたがどっこい、まだ健在でした。
長崎市には、諏訪神社の「長崎くんち」というお祭りがあります。
氏子の各町が7組に分かれて、さまざまな演目(奉納踊)を奉納するのですが、7年に1度回ってくる万屋町の演目は、江戸時代の古式捕鯨を表した鯨の潮吹きで、安永5年(1776年)の初奉納以来、人気を集め続けているものです。
この鯨の山車を模して、幕末のころから張り子で玩具がつくられました。
中には全長27センチと大きいものもあり、明治44年(1911年)に刊行された玩具画集『うなゐの友』には、古くから祭礼玩具として子どもたちが引いて、遊んできたとの記載があります。
1957年には、年賀切手の図案にもなりました。
『日本郷土玩具事典』より |
玩具の鯨の潮吹きは、作者によって表情が違います。
昭和の代表的な作者として、表具師の中山善蔵(1903-1976年)をあげることができます。中山善蔵は、表具師として生計を立てる傍ら、鯨の潮吹きをはじめとして、諏訪神社に関する玩具を、生涯つくり続けました。
我が家の鯨たちは、どちらも中山善蔵の手になるものです。
小さい、元から持っている鯨の車の底には「長崎 中山善蔵」のスタンプがあり、今回手に入れた大きい方の鯨の車の底には「中善作」のスタンプがあります。
簡単に「潮」をつくる方法はないかと、障子紙を6枚重ねて糊づけして、細く切ってみました。
湿気が高いと、しなっとお辞儀してしまいそうですが、潮がある方が勇壮に見えます。
中山善蔵の没後途絶えていた鯨の潮吹きは、2012年、長崎出身の前田真央さんの手によって復刻されました。
前田さんは、
「鯨の潮吹きは部品も多く、恐ろしく手間と時間がかかるもの、廃絶した理由が、つくってみてわかりました」
とおっしゃっているものの、今もつくっていらっしゃるようです。
ただ、小さいのだけつくっていらっしゃるよう、大きいものは迫力があるのでつくって欲しいのですが、今どき子どもが鯨車で遊ぶとは思えないし、大きくすれば値段も上がり、棚にも入りきらないので欲しがる人もいないかもしれない、そんなことで、大きな鯨の潮吹きは望めないようです。
ちなみに、長崎くんちの鯨は、高さ180センチ、長さは6メートル以上あり、竹で編んだ胴を黒繻子で包み、お腹の中に水を入れた4斗樽を置き、龍頭水を利用して、背中の穴から水を吹き出します。
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