2024年5月24日金曜日

涸沼の公園

「ねぇ、海に行かない?」
と夫。
「いいよ、行こうか」
というわけで、昨日は突然海を目指しました。
「涸沼(ひぬま)を通って行こうよ」
「いいよ」


涸沼のほとりの公園に着くまで忘れていましたが、建物を見たら、先回きたときにお手洗いの入り口にツバメの巣があったのを思い出しました。今はまさに子育ての季節じゃないかしら、と真っ先に行ってみたら、やっぱりいました。


4羽いました。


親はどこにいるんだろう?
しばらく気配がなかったのですが、そのうちやってきて、忙しく飛び回りはじめました。


やっと、親ツバメの姿をとらえることができました。
先回ツバメを見たときのブログを見返してみたら、2022年7月29日で、今年見たのは5月末、しかももう大きく育っているので、約2カ月の差があります。ツバメの子育ては1カ月半くらいかかるので、巣はたくさんのツバメによって入れ代わり立ち代わり使われているのかどうか、今回は女子トイレの上だけで、男子トイレの上の巣は空っぽでした。
ツバメは巣立つとヨシ原に集まり、ヨシにとまって集団で眠るので、巣をつくれる町家とヨシ原があるところで子育てをするそうです。
その意味では、昼間はこの公園のお手洗いにはさまれた事務所に管理人(かどうか?)が必ずいるので安全だし、ヨシ原もあるので、格好の子育てスポットです。


昨日はあいにくの曇り空、筑波山は見えませんでした。
釣り人は2人いましたが、コサギもウミウもいませんでした。




 

2024年5月23日木曜日

李朝の米研ぎ鉢

しばらく前に、骨董市のまことさんの店頭に、李氏朝鮮時代後期の米研ぎ用くり抜き鉢が置いてありました。
「珍しいなぁ」
私が10年前に買って以来、初めて見かけたものでしたが、その時の3倍以上のお値段がついていました。


「まことさん、この米研ぎ鉢は、高いのねぇ」
「あぁそれ? ちょっと昔の値段をつけてみたんだ。昔は結構高かったからね」
そうか、昔むかしは高かった。そして、私が買った時は安かった。そしてまた、「それはおかしいだろう」と、昔の値段をつけてみたようでした。


鉢は、使い込んで剥げていますが、漆を塗ってあります。直径42センチ、高さ9センチと、米とぎ用として実際に使ってみるには大きすぎます。
こんなに大きな米研ぎ鉢を使うなんて、朝鮮でも日本のように、昔はお米をたくさん食べただけでなく、ご飯を炊くのは大変な手間なので、1日1回だけまとめて炊いていたに違いありません。


鉢の内側にはたくさんの溝が彫ってあります。
昔は精米機の性能がよくなかったので、何度もこすりつけて、お米をよく研ぐ必要があったのでしょう。


松材でできた米研ぎ鉢、底はノミで削ってあり、平らではなく丸みを帯びています。
底に丸みがあれば、平らな台の上でも、土の上でもどこにおいても安定します。そして、水も入れて重くなったときにも傾けたいときは楽に傾けることができる、機能的な形につくられているのです。

米研ぎ鉢があるなら、朝鮮の米揚げ笊はどんなものだったか、ちょっと気になります。





2024年5月22日水曜日

夏は来ぬ


ウツギの花が咲いています。
この辺りでは、畑の境界にウツギを植えてわかりやすくしておくという習慣があります。


現役の畑の境界線に植えられたウツギは邪魔にならないように短く刈り込まれています。


杭だと土に埋もれたり、トラクターで動かされたりしますが、ウツギだと大丈夫、境界線がはっきり区別できます。


ところが、畑が放置されると、ウツギも役目を終えてしまって放置されます。


花が少ないのは、放置されたから? 
それとも、これから咲く?


ウツギは別名卯の花と呼ばれます。
少学唱歌『夏は来ぬ』に、
♪卯の花の匂う垣根に、時鳥早も来鳴きて♪
とうたわれていますが、ホトトギスも鳴きはじめました。

ホトトギスの声は、きょっきょ、きょきょきょきょ(特許許可局)とは聞こえますが、どう聞いても、てっぺん かけたか、てっぺん かけたかとは聞こえません。






2024年5月21日火曜日

八郷は桃源郷


Kさんが家を建てようとしている土地です。
岩で段差がついていた土地だったので、ご近所の大きいユンボを持っている人にお願いして岩を集めたとか、地中からも大きな岩がいっぱい出てきたそうです。
この岩たちを生かした家をつくれたらいいなと言っていましたが、どんな家ができるでしょう?


八郷にはあちこちに桃源郷があります。
それにしても、気持ちのいい土地でした。





 

2024年5月20日月曜日

おもちゃの鳥笛


木の鳥笛がばらばらとそこいらに転がっていたので、一カ所に集めてみました。


ついでに土笛も棚から引っ張り出してみたのですが、この写真を撮った後、過去のブログを見たら、別格の下河原土人形の鳩笛はもともと入れてなかったものの、そのほかにもいろいろ抜けていました。もう一度集合させるのは面倒なので、土の鳥笛たちは写真なしです。


というわけで、木の鳥笛たちです。
最後列はチェコの鶏笛、その前が箱根のウグイス笛、あとの幼児のおもちゃたちは、おもちゃ骨董のさわださんのところから来たものです。前列から2番目の鳥たちは、お腹が丸くてちゃんと座れないので、2羽で寄りかかって座らせています。


セルロイドの鳥笛たち、高い音がします。
羽がついているのは、吹くとくるくる回っていたのですが、劣化して折れたりして、今はうまく回りません。


すっかり忘れていましたが、カエルの土笛がありました。
色からして南米のものに見えるけれど、いつから我が家にいたんだろう?




 

2024年5月19日日曜日

招き猫待ち童子


満身創痍の「招き猫持ち童子」です。
台所洗剤を使って歯ブラシでゴシゴシこすってみましたが、白くなりません。ではと、キッチン用漂白剤のお風呂に入ってもらいましたが、


全く効き目はありませんでした。
紙やすりをかけて、もう一度窯に入れて高温で焼きなおせば、たぶんきれいに完治するかもしれませんが、そんな手間をかける予定はないので、このまま過ごしてもらうよりほかありません。


子どもに、ガチャガチャと乱暴に遊ばれて、傷だらけになったのでしょうか?


猫の顔も定かではありませんが、首紐はかわゆく残っています。





 

2024年5月18日土曜日

アイヌの男性たち


アイヌの男性たちの人形です。
あんなによく知られたアットゥアミ(半纏のようなアツシの着物)をまとわず、日本の着物に袖なし羽織のようなものをまとっているのには、何か理由があったのか、なかったのか、着物はシナかオヒョウの繊維で織られたもの、袖なし羽織はからむしなど草の繊維で織られたものと思われます。


美しく織られた布たち。着物にはアイヌの唐草模様が木版で押され(あるいは手描きされ)、袖なし羽織は草木で染められています。
張りのある生地なので、小さな端布を折ったり曲げたりするのは難しいと思われますが、とてもきれいに仕上げてあります。


男性たちは二人とも、堂々とした立派なお顔をされています。髪や髭が黒々としているので、壮年の男性でしょうか。


お土産ものとしてつくられたものかどうか、手は片方を動かすと、連動していてもう一方の手も動きます。

アイヌの服装は、西から保温性の高い、しかし布としては薄手の木綿が手に入るようになって変貌します。木綿の普及で、織りあげるまでに数カ月かかる、木の皮を剥いで繊維を採って糸にするアットゥはやがて織られなくなり、薄手の木綿布を重ねて綴ったりすることによって、上着にはより手の込んだ模様が施されるようになります。


実際に、こんな服装をしていたアイヌがいたのかどうか、いぶかしく思いながらも木綿以前の着物をまとった男性たちの佇まいを楽しんでいます。


我が家のアイヌコーナーはむき出しのところ、ここに置いては布が埃で傷むので、この場所にいていただくわけにいきません。


というわけで、アイヌの男性たちは、ガラスケースに収まっています。フランスの若くはない女性、メキシコの女性、ノルウェーの女性たちに囲まれて、ちょっと居心地は悪いでしょうか。


アイヌの衣装を知るには、『アイヌの衣文化の研究』(津田命子著、2014年)をダウンロードすることができます。