ファンも多いらしく、UPされると、わりとすぐに行き先が決まってしまいますが、富山の招き猫がずっと売れ残っていました。珍しいなぁ、招き猫はすぐ売れてしまうのにと思いつつ、時折眺めていましたが、売れていきません。
そこである日、自分で注文してしまいました。
ところが、翌日になっても返信メールもなにもないので、その招き猫を見なおすと「完売御礼!」となっています。さては、すでに売れてしまっていたのか。まっ、それならそれでもいいや、などと思っていたら、その日のうちに荷物が届きました。
「何だろう?」
富山の招き猫でした。返事も寄こさず、お金も払っていないのに、さっさと現物を送ってきたのです。
Tさんは確か90歳を超えていらっしゃるはずです。お元気で素早い対応は、お見事でした。
その、「とやま土人形」の招き猫です。
富山土人形は江戸時代(1800年代半ば)に広瀬家がつくりはじめ、製法を伝授された渡辺家によって、昭和まで受け継がれました。ところが渡辺家では、三代目の渡辺信秀さんには後継者がなく、廃絶の危機に直面していました。
そこで、富山市が協力して、1983年(昭和58年)から人形づくりの受講生を募り、信秀さんを講師として技法を学んで、「とやま土人形伝承会」が結成されました。
1997年に信秀さんは亡くなられましたが、渡辺家に代々受け継がれてきた型や技法などすべては、「とやま土人形伝承会」に受け継がれました。
この招き猫は、渡辺さんの型を使って、「伝承会」の古川圭子さんが制作されたものです。
古川圭子、藤田清枝作 |
日本招き猫100人展のとやま人形の写真を見ると、渡辺さんの型を使ったものだけでなく、新しい型の招き猫も、いろいろつくられているようです。
上尾の熊手は、後継者がいなくて廃絶の危機を迎えたとき、上尾市は動画を残しました。でも、動画がいったい何になるでしょう。とやま土人形のように、「伝承会」を立ち上げておけば、あのすばらしい熊手のつくり方が伝承されたのにと思うと、返す返すも残念です。
渡辺家の型でつくった、焼く前の招き猫 |
富山土人形と言えば、若いころの私のイメージは、厠の神さまくらいしかありませんでした。膠(にかわ)が剥げやすい、雑な人形というイメージもありましたが、招き猫の型だけでもこんなにいろいろあったのです。
どちらも、富山土人形の特徴、鈴が真横についていますが、
尻尾や、前垂れの紐は違います。
江戸時代には数軒あった窯元も、昭和まで続いたのは渡辺家だけでした。
それでも、今でもときおり、渡辺家以外の型でつくられたらしい土人形も見つかるそうです。「伝承会」の方たちはそんな土人形の型取りをし、復元されたりしています。
この古い招き猫も、渡辺家の型ではなかったのかもしれません。
かつて、土人形はおもちゃの花形の一つでした。お節句に贈り合う雛人形や、信仰と結びついた天神さまなどの需要が高かったのはわかりますが、招き猫の需要も高かったのでしょうか?
招き猫は、ネズミ除けとして、養蚕従事者が求めたのかもしれません。また、親猫に子猫がたくさんくっついている子福招き猫は、子宝祈願としての需要が、とくに高かったのかもしれません。
右の古い招き猫の挙げた手は、手びねりですから、ちょっと特別、左の新しい猫は、もちろん型で形づくった手を挙げています。
「とやま土人形工房」は「富山市民俗民芸村」の中にあり、土人形の販売をしているだけでなく、毎日のように「絵付け体験教室」も開いているようです。
そして、作品として制作される土人形の絵つけには泥絵の具や膠という伝統的なものを使い、体験教室ではアクリル絵の具と、使い分けられてもいるようです。
何はともあれ、継承され、そして新しいものも加えられていくのは、とても素敵なことです。
2 件のコメント:
富山市民族民芸村!行ってみたいです。
今度の帰省のときには是非、行ってみます。
Akemi Fujimaさん
富山にはいろいろ素敵なものがありますね。
ます寿司、かぶら寿司、巻きかまぼこ...。あっ、食べ物ばっかりだった!
民俗民芸村、ぜひ行ってみてください。ソウルの民俗村くらい素敵かな?
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