2017年12月4日月曜日

玩具映画(おもちゃえいが)


骨董市で水屋さんの店先に小さな缶が三つ並んでいました。
最初、「ライオン」が目に入ったので、歯磨き粉かと思いましたが、近づくと、フ井ルムと書いてありました。


振ると音がして、開けてみると、どの缶にも35ミリのフィルムが入っていました。
「あらっ、フィルムが入っている」
「そう?缶が可愛いから買ったけど、まだ開けてみてなかったんだよ」
と、のんきな水屋さん。
「三つまとめて買ったから、三つまとめて1500円かな」

帰ってから調べてみると、玩具映画(おもちゃえいが)のフィルムだとわかりました。
大阪芸術大学の『玩具映画とフィルム・アーカイブについて』(太田米男、松本夏樹)によると、「玩具映画」は手回しの映写機で観る家庭用のフィルムで、大正の中ごろから、昭和40年ごろまで、家族団欒の中で楽しまれたそうです。大正期には、まだ上流家庭だけの高級な娯楽でしたが、昭和期に入ると一般家庭にも普及し、身近な楽しみとなったらしいのですが、ちっとも知りませんでした。
家で、おもちゃとはいえ、映画を楽しんでいた家庭があったなんて、初耳でした。 


京都の壬生馬場町には、「おもちゃ映画ミュージアム」があり、玩具映画の映写機やフィルムをたくさん展示しています。
手回しの玩具映写機は、国産のもの、輸入物いろいろあるようで、この缶と同じキングの映写機もライオンの映写機もあります。玩具映写機ができた当初は、最初と最後をつないで「わ」にしたフィルムを繰り返し見る、数秒の短いものでしたが、やがて改良され、長めのものが見られるようになりました。
フィルムには、劇場で上映された無声映画の断片を切り取ったものが多くありましたが、玩具映写機用に、独自に製作されたアニメーションなどもありました。


キング缶が二つとライオン缶が一つですが、うち一つのキング缶の胴に貼ってあるラベルには、「海底の實寫、海底の驚異(原名サマランダ)」書かれていて、ライオン缶のラベルには、「オリンピック大會 第二報」と書かれています。
 

もう一つキング缶のラベルは、はがれてしまっていますが、フィルムを伸ばしてみると、「茶目とワン公」という、アニメのフィルムでした。


「海底の驚異」のフィルムはこんな感じです。
当時、海底の実写はどうやったのでしょうか?

玩具映画は、一世を風靡した(らしい)のですが、家庭用16ミリフィルムとテレビの出現で廃れてしまいました。
しかし、無声映画を切り取って玩具映画フィルムとして売られたものの中には、尾上松之助、坂東妻三郎、大河内伝次郎、嵐勘十郎、市川右太衛門、片岡千恵蔵、林長二郎など、当代人気俳優の殺陣なども含まれていて、長いフィルムそのものはすでに失われているので、いまでは貴重な資料となっているそうです。
 

キング、ライオン、どちらの缶の底(裏)にも、こんな注意書きが書かれていました。

クワツドウシヤシン、『子供園』小学館、1932年10月号

玩具映画は、私のまったく知らない世界でした。





13 件のコメント:

karat さんのコメント...

「…お取替の儀一切お断り申し上げ候」という文言がきっぱりしていていいですね。
玩具映画のことはもちろん知りませんが、子供の頃家には8ミリ映写機があって父がよく撮ったり写したりしていたなあと懐かしく思い出しました。

昭ちゃん さんのコメント...

春姐さん
裕福な家庭には8ミリの撮影機や専用の投影機がありましたが
これは家庭用子供向きなので投影機だけでフイルムは缶入り
我が家にもありチャップリンの映画の短編やマンガがありました。
 電源は電灯から
器具は手回しで下のプーリーで巻き取ります。
スプロケットの穴が両側に見えますね。
映画館用のフイルムとサイズは同じですがモータと手回しと
回転スピードが違うので専用に撮影したのでしょー(回転数をおとして)
面白かったです。
 当時グリコの自販でもマンガの写るのがありました。
盛んだったのはやはり昭和10年頃です。

昭ちゃん さんのコメント...

8ミリは昭和30年代流行りました。
私もスキーに借りていきましたしカラーです。
スプロケットの穴は片側だけです。
当時扇千景のコマーシャル
「私にも写せますー」

さんのコメント...

karatさん
文言といい、字体といい、キングとライオンと会社が違っても、ハンコのようなまったく同じ警告でした。おもしろいですね。
16ミリ、8ミリ映写機はあることは知っていても、身近にはありませんでした。私の父は関心がなかったのですかね(笑)。子育てのころも家にはありませんでしたし、今でも動画を撮る気にはあまりならないので、その伝統が、脈々と続いているような気もします。

さんのコメント...

昭ちゃん
玩具映画を知っていらしたのですね。さぁすがぁ(^^♪
戦後のもののない時代に育った私の世代だと、知りようがなかったのでしょう。
いつだったか、湯川れい子さんが、徐々に戦争体制の入ったのではなく、ある日まで暢気で穏やかな日常があったのに、突然気がついたら戦争体制になっていたと書かれていましたが、そんな感じだったのでしょうか?
8ミリ映写機は1932年から家庭用に発売されたそうです。
玩具映画の映写機は手回しだったので、絵がスムーズではなく、一瞬止まってまた動く感じになったみたいですね。紙に描いたぱらぱら漫画のようなものだったのでしょう。坂妻なんかじゃなくて、昭ちゃんちにはチャップリンがあったなんて、とってもおしゃれでしたね(^^♪

昭ちゃん さんのコメント...

ついついつい追伸を、、、
家庭用だから手のスピードに合った映像になりますね、
一度映画用のフイルムを短く切って回したことがあります。
上映用はモーターなので当然で
中々映像が動きませんよ。

さんのコメント...

昭ちゃん
そういうことですね(笑)。
でも玩具映画フィルムの資料を見ると、たいてい無声映画フィルムを切って使ったなどと書いてあります。家庭用のフィルムが3分として、刀を振り上げておろして、切りつけるまででフィルムが終わってしまうとか(笑)、じれったいですね。
でも、穴をのぞいたりするのと違って、家族みんなで見ることができるところがいいですね。

昭ちゃん さんのコメント...

チャップリンやミッキーの短編が手回しで見られるのは
回転数を落として再編製でフイルムではなく
紙の映像もありましたよ。
「説明に安全です」っと
本体が熱で熱くなりますので、、、。

さんのコメント...

昭ちゃん
あぁ、そうだった。フィルムはセルロイドだったのかな?説明文にははっきりとは書いてなかったけれど、燃えたこともあったようでしたね。
ある文には、「映写機を売るためにフィルムも用意した」と書いてありましたから、当時から、あくなき科学の信奉者や、商売一筋の人たちがうごめいていたということですね。裏歴史というか、歯牙にもかけられずに忘れ去られることがいっぱいありすぎます。
人類が言葉を持ってから40000年、農耕を始めてから12000年でしたっけ。ずっと緩やかに暮らしてきて、この数百年は激動でした(笑)。

Bluemoon さんのコメント...

ぜんぜん知りませんでした。電源は電灯からなんですね。紙もあったんですね。へぇ~と思いながら文章を読みました。

昭ちゃん さんのコメント...

 紙もよく写りましたよ、
考えてみれば「幻灯」も絵ハガキですからね。

さんのコメント...

Bluemoonさん
知らない世界が、面白いです。
機械そのものは手回しなのだから、電灯を近づけてというか、箱に入れて写したんですね。
紙でも光を通すって、ちょっと面白いです。ずっと昔、和紙は強かったという話で、貴重な本をくしゃくしゃにしても、形状記憶というか、元通りに戻るというのを見たことがあります。セロファン紙もあったし、紙もいろいろだったのでしょうね。

さんのコメント...

昭ちゃん
幻灯って、あの回り灯篭のようなものですか?
中学一年のとき、何故かスライド班というクラブ活動に入っていて、みんなでお話をつくったりして、紙ではなくてすりガラスを小さく切ったもの(誰に切ってもらったんだろう?)に手分けして絵を描いて、幻灯機で写していました。
今考えると、そんなクラブ活動があったこと自体、とっても変です(笑)。