「禍福は糾える縄の如し」と言う言葉は、文字通り、災いと幸福は交互にやってくるという意味もあるけれど、物事が順調な時にこそ気持ちを引き締めよという教訓も含まれているようです。
それに対して、「人間万事塞翁が馬」は、人生の幸不幸は予測できないものだというたとえだそうで、この二つは似ているようで、ちょっと違うのでしょうか。
もう30年以上前に、前後して体調をちょっと崩した私たち夫婦は、年下の同僚夫婦に「西式健康法」を教えてもらいました。
それまで、私たちは西式健康法について全く知識がありませんでしたが、戦前は不治の病とされていた病気を治す療法として、私の父でさえ知っていたくらい、広く知られていました。
基本は、薬を投入するのではなく、身体の中をきれいにすること、とくに腸の中と血液の中をきれいに保って、自分の持っている治癒力や免疫力を強めることにあります。
そのために毎日、体内に酸素を取り込む運動、毛細血管を刺激して血液の循環を促す温冷浴、腸内をきれいにするために朝食は食べないこと、散歩をすることなど、薬も器具もなくても自分でできることで構成されています。
30年前には、東京と大阪に西式の医院があり(東京の東中野には今でもある)、全国にも「道場」と呼ばれる、宿泊して一日中「西式に浸ることができる」施設がたくさんありました。戦後、ペニシリンの普及で西式健康法が廃れたとはいえ、年配の方たちを中心に、まだまだ賑わっていました。
ところが、21世紀になって西式の渡辺医院に行って感じたことですが、ちょっと閑散としていました。薬や手術の目覚ましい向上によって、「自分の努力で身体の中をきれいにする」西式健康法は、忘れ去られようとしているのかもしれません。
さて私たち夫婦も、なかなか西式を守って生活できないのですが、毎朝、体操と温冷浴だけでもと、欠かさないようにとやっています。
温冷浴は、冷たい水に1分、次にお湯に1分と交互に入り、全部で7回入ったところで、終わりにします。水から入って、水で出るのが決まりで、水温は16度から22度が適温と言われていますが、冬はたいてい24度から26度にしてしまいます。
冷たい水に入っているときは、まだかまだかと砂時計を見ますが、なかなか砂が落ちません。それなのに、お湯に入っているときは、砂時計の砂はあっという間に落ちてしまいます。
夫と私は、長く別々に温冷浴をしていましたが、一人で入っているとお湯に入る時間を長くするなどずるをしがちなので、入院客で混んでいた当時の東中野の渡辺医院のやり方を真似て、この数年は夫と一緒に交互に入っています。
こうすれが、自分が水に入っているとき相手はお湯に入っているので、1分をきっちり守らざるを得ないというわけです。
そしてこの温冷浴のとき、何故か関係ないのに「禍福は糾える縄の如し」を思い出してしまうのです。もちろんそのとき、水が「禍」で、お湯が「福」です。
そして、どうして水が「禍」なのかとも考えてしまいます。水風呂が血管に刺激を与えてくれているのだから、考えようによっては水が「福」かもしれないのですが、なかなかそうは思えません。
人生の禍福もそんなものかもしれません。
西式健康法を実行していると、「死ぬまで元気でいられる」とも言われています。
二十歳まで持たないだろうと医者に見放された画家の田中一村は、西式健康法に出逢って早世することなく、長く生きて素晴らしい絵を残しました。そして、西式の食事をつくろうと、野菜の入ったすり鉢を持ったまま、亡くなられています。
人間のことですからどうなるかわかりませんが、「元気でぽっくり」の生き方は、やっぱりいいなと思ってしまいます。
追記:
明日から数日北九州に行くので、ブログは1週間ほどお休みします。
4 件のコメント:
北九州楽しんで下さい( ^o^)
お天気に恵まれます様に、お気を付けて後日談楽しみにしています。
あかずきんさん
北九州が固有名詞と思わず、使ってしまいましたが、今壱岐の島にいます。海を渡って来たというのに、浜は見ていません。
明日、糸島で浜に出逢えるかしら?
スマホデビュー三ヶ月、しかも入力
はしたことがないので難しいです。
糸島半島楽しみですね~
モダマあるかも?ですよ
ナツモモなど可愛い貝も沢山出会えます様に(^o^)
今日は、ほんの一瞬だけ、糸島の浜を歩きました。貝を少しブンブクと貝を拾いましたが、モダマはなかったなぁ
。
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