M+MのMちゃんが、アフリカの数か国をつないで、基礎医療のオンライン調査(会議だったかな?)をする準備をしているという話をしていました。
アフリカの話で一緒に盛り上がれるMちゃんに、そういえば面白かったなぁと思い出して、ソマリアの本のことを話しました。
「今回、ソマリアは含まれてないの。ソマリアの本って最近出た本じゃない?」
「いや、何年か前よ。でも、その人は最近納豆の本を出したけど」
「それそれ。その本、聞いたことがある」
著者の名前は忘れていたのに、ソマリアの本と納豆の本を書いたのが同じ著者だったことは、なんとなく二人とも結びついていました。
そんな話をしていたせいか、納豆の本を読んでみたくなりました。
『幻のアフリカ納豆を追え!』(高野秀行著、新潮社、2020年8月)です。365ページの厚い本でしたが、ソマリアの本同様面白くて、あっという間に読めてしまいました。
調べるとなると、とことん調べる現地主義の高野さんは、ナイジェリアの北部のカノ、セネガルの南部ジガンショール、ブルギナファソのバム県やガンズルグ県など、納豆づくりの現場(どこも僻地)に足を運んで製法をつぶさに観察しています。納豆のでき方は、どれも感動的なもので、かつ美味しそうでした。
調べるとなると、とことん調べる現地主義の高野さんは、ナイジェリアの北部のカノ、セネガルの南部ジガンショール、ブルギナファソのバム県やガンズルグ県など、納豆づくりの現場(どこも僻地)に足を運んで製法をつぶさに観察しています。納豆のでき方は、どれも感動的なもので、かつ美味しそうでした。
また、韓国の納豆の里にも行って、日本の納豆との関係を調べ、どちらも独自に発展した、別ものであることを突き止めています。
納豆の食べ方や保存の仕方は地域によって違いますが、納豆菌で発酵させているものが納豆という共通点があります。材料も大豆だけでなく、アフリカではパルキアの豆、ローゼルの種、バオバブの種などでもつくられています。
アフリカの納豆は、パルキア(Parkia biglobosa)の豆が基本です。
パルキアとはどんな木かと調べると、サヘル地域でよく見かけるマメ科の木でした。もとはたくさん生えていましたが、耕作地にしたり燃料にしたりするために伐り倒され、少なくなっている地域もあります。
パルキアとはどんな木かと調べると、サヘル地域でよく見かけるマメ科の木でした。もとはたくさん生えていましたが、耕作地にしたり燃料にしたりするために伐り倒され、少なくなっている地域もあります。
これが、パルキアの分布図です。西はガンビア・セネガルから東は南スーダンまでパルキア・ベルトが延びています。
このパルキア・ベルトの南側には、熱帯多雨林のベルトがあります(ありました)。
そして、これが納豆がつくられている地域、ほぼ重なっています。
パルキアの豆です。
パルキアは自生している木で、ほかの木がたくさん生えているような、水の条件がよい場所では、成長が遅いので周りの木に負けて育つことができません。そのため、日光が確保できるサバンナ地帯(乾燥地)に生えているのですが、耕作地を広げるために伐ったり、燃料にしたりしてパルキアが失われてしまったところでは、市場でパルキアの豆を買って納豆をつくっています。
パルキアは自生している木で、ほかの木がたくさん生えているような、水の条件がよい場所では、成長が遅いので周りの木に負けて育つことができません。そのため、日光が確保できるサバンナ地帯(乾燥地)に生えているのですが、耕作地を広げるために伐ったり、燃料にしたりしてパルキアが失われてしまったところでは、市場でパルキアの豆を買って納豆をつくっています。
パルキアの成長が遅いということは、実が生りはじめるまでには長い年月がかかるということです。
同じパルキア納豆でも、ナイジェリアのハウサ(民族グループ)がつくる「ダワダワ」、ヨルバのつくる「イル」、セネガルの「ネテトウ」、ブルギナファソのモシがつくる「スンバラ」や「コロゴ」は、製法が少しずつ違い、仕上がりも豆を全部は潰さず残すものよく潰すもの、できたらすぐに塩やトウガラシを混ぜるものなどあります。いずれも、シチューのダシとして、サバンナの生活に欠かせないものです。
ローゼルの種の納豆は、パルキアの豆が手に入りにくくなったところでつくられています。
大豆同様、ローゼルは栽培作物なので、種を手に入れやすいからです。ちなみに、アフリカでは大豆もパルキアの代用で、パルキアより味が落ちるとされていますが、栽培さえすれば簡単に手に入るので、急速に広がっているようです。
バオバブの種 |
バオバブの種の納豆は、味はとてもよいものですが手間がかかるし、またバオバブの実に飲料としての商品価値が出て、アフリカだけでなくヨーロッパに輸出されるようにもなり、品薄にもなって、あまりつくられなくなっているようです。
納豆(スンバラ)で味つけしたシチューは、パルキアの生えている地域だけでなく、西アフリカの広域で穀物の粉を蒸かして搗いた「餅団子(練り粥)」と一緒に食べられています。スンバラは日本でいえば醤油、東南アジア大陸部でいえば魚醤のようなもので、それなしでの料理は考えられないのです。
セネガルで納豆(ネテトウ)をつくっているのは湿潤地帯で、紀元前から水田がつくられ、稲を栽培してきました。ここでは、お米と納豆が日本のようにセットで考えられていて、ネテトウさえあればおかずは要らないとばかり、ご飯に乗せたり、炊き込みご飯にして食べられています。
また、雑穀やトウモロコシの餅団子を食べてきた地域でも、ご飯を炊くのは餅団子をつくるよりずっと楽なので、最近はアジア産のお米が時短食として普及しつつあるそうです。
ビルマなど、アジアの大陸部では、納豆はほぼ自家用につくられていますが、西アフリカでは納豆が早くから商品化され、店がないような田舎でも市が立って、津々浦々(海が遠いのでこの表現はおかしいけれど)で売られています。
さて韓国では、高野さんたちは何か所かの納豆生産地を訪れていますが、その中に、カトリックの人たちが住んでいる村があります。韓国でもかつてカトリックの人たちが弾圧された時代があり、彼らは山奥の道境に住み、全羅道の取締官が来たときは忠清道に逃げ込み、忠清道の取締官が来たら全羅道に逃げて難を逃れ、隠れキリシタンとして生き延びてきました。
いつ移動を余儀なくされるかわからないので、時間がかかるテンジャン(味噌)やカンジャン(醤油)をつくることができず、短時間でできるチョングッチャン(納豆)だけつくって、山の中を転々としていたのです。
それに比べると、アフリカの納豆は、動物性たんぱく質の少ない地域でのたんぱく源および調味料として発達したようです。
アフリカでつくられているスンバラやダワダワは本当に納豆なのかと、高野さんは、日本に持ち帰って冷凍庫に保存しておいた各地の納豆から納豆菌を取り出し、どこの納豆が美味しいかを競う、「納豆菌ワールドカップ」というのを開催しています。
一つの納豆にも、多種類の納豆菌や他の菌などが混じっているので、多種類の納豆菌がいる場合は一種類ずつを抽出し、それぞれを同じ条件で培養して、培養した菌を煮た大豆に混ぜて発酵させ、香り、糸の引き方、味、後味などを審査して、どこの納豆が美味しいかを決めています。
その結果、同率で一位を獲得したのは、韓国のチョングッチャンとブータンの納豆、そして特別賞にはナイジェリアのパルキア納豆が入りました。もちろん日本の代表的な納豆(岩手の雪納豆)も、ワールドカップに参加したのですが、入賞しませんでした。
その結果、同率で一位を獲得したのは、韓国のチョングッチャンとブータンの納豆、そして特別賞にはナイジェリアのパルキア納豆が入りました。もちろん日本の代表的な納豆(岩手の雪納豆)も、ワールドカップに参加したのですが、入賞しませんでした。
日本の代表が入賞しなかったくらいですから、惜しくも賞を逃した納豆たちもいずれもレベルの高い納豆で、日本で市販されている納豆とは比べものにならないほど美味しいものだったそうです。
高野さんの取材には、お人柄か、現地の人たちとの温かい交流が感じられます。いいとこ取りをして通り過ぎるのではなく、人々と同じ地平に立って楽しんでいることが伝わってきました。『謎のアジア納豆、そして帰ってきた〈日本納豆〉』も読んでみたくなっています。
10 件のコメント:
かなり前になりますが、同じ著者の「謎のアジア納豆」を読みました。ミャンマーで日本の納豆とそっくりなものを食べたのが探求のきっかけとの事ですが、日本の納豆は独自のものとの結論だったかと記憶しています。
豆を腐らすのが「納豆」で、豆を袋に入れ絞るのが「豆腐」 と言った製法と名前の逆転が何故起きたのかの謎は解けませんでした。
著者はその後、アフリカに探索範囲を広げていたのですね。
納豆大好きです。
子供の頃朝一番の物売りの声は「なっとー なっとー」で
苦学生か高齢者でした。
わらに包むのはわらの中の納豆菌の作用で出来るとか
九州に来て75年納豆が有りませんでした。
藁納豆の香り大好きで規格外や虫喰いで作るので不揃いです。
reiさん
確かに字面から言えば、豆を腐らすのが「納豆」で、豆を袋に入れ絞るのが「豆腐」はおかしいですね(笑)。
私は『謎のアジア納豆』を読んでないので詳細はわかりませんが、日本では納豆屋が醤油や味噌はつくらないし、醤油屋が納豆をつくらない、お互いに菌が混じると困るものですが、韓国ではすべて仲間と考えられているなど、各地で納豆の製法は似ているようで、どこのも独自のようです。
スンバラは知っていましたが、スンバラが納豆とは知らなかったです。また、アフリカでも豆腐がつくられていることも知らなかった。豆腐に納豆をつけて食べている写真が載っていましたが、豆腐についてはさらっと流していました(^^♪
昭ちゃん
藁つとでは雑菌が混じることがあるとか、出来上がりが一定ではないということで、市販の納豆は今ではもっと科学的に制御しながらつくっているものがほとんどですね。
こちら、水戸納豆の本場ですから、経木に包んだ納豆や藁つとの納豆が簡単に手に入ります。それでも、昔のとは味は違うのでしょう。
自分で納豆をつくっている友人がいて、とっても美味しいです。手づくりだと、醤油も納豆も美味しいです。
私はつくっていないけれど(笑)。
20年くらい前にマリからブルキナファソまでを旅した時に、あちこちでお茶に呼ばれたり
トウというそばがきみたいなのをご馳走になったりしました。
そのそばがきみたいなのがすごく美味しくて、オクラのソースがかかってました。
そのソースにはスンバラを削って入れるのだと聞いて、市場で見つけたのを日本に持ち帰って
しばらくはオクラソースを作ってアフリカを思い出してました。
直径3cmくらいに丸めた球状で、ナイフで削って使います。
見た感じも匂いも納豆という感じじゃないけれど、これを入れないと懐かしいアフリカの味には
ならないのでした。
今日、春さんのブログを読んで一気にあの味を思い出しました。
子供の頃の売り声「茨木名産 水戸納豆」っと、味噌納豆かと、、、、
嫌いな人は美味しい高菜漬けの匂いでも倒しますね。
kuskusさん
スンバラでは味を出し、オクラでねばねばを出すようです。
私がブルギナファソ(まだオートボルタだった)に行った頃は、田舎の定期市で地酒バーは必ず開かれていましたが、茹でたトウモロコシ(ガーナ北部だったか?)以外、すぐ食べられるものを売ってはいませんでした。町に食堂は一軒もないし、ホテルもワガドゥグには一軒だけあって一泊したのだけど(あとはないので車中泊)、ご飯は出しませんでした。だから、トマトや玉ねぎなどを買って、ケロシンランプで調理する以外ありませんでした。
この本を読むと人が集まるところには地酒バーができて、バーができれば食べ物屋さんもやってくる、それがどれもとってもおいしそうで、行ってみたくなります。地方でカメラマンが風邪をひいて、「ガイヤング(タイの焼き鳥)が食べたい」と無理をいうので探したら、鶏の焼いたのにスンバラのソースをかけたガイヤングよりおいしいのがあったとか(笑)。
ブルギナはいまでもワガドゥグ周辺だけしか舗装してなようで、内陸国ならではのよさ(?)を残しているようです。
昭ちゃん
私はナットーの売り声知りませんよ(笑)。時代が違いましたね(爆)。
知識としては金魚売売りなど知っていますが、実際に聞いたかどうかとなると、たぶん聞いてない。
聴いたことがあるのは、夜鳴き蕎麦のチャルメラとサオヤーサオダケだけです。
納豆はアジア圏という思い込みがあったので、驚きましたし、興味深い話でした。どんな味なんだろう…。ここに居て考えるとすごく貴重な物に思えます。パルキアとか…。
色々な味付けにも使うということで、まあちょっと違うでしょうが、浜松の浜納豆を思い出しました。黒褐色の乾いた感じのしょっぱい納豆で、昔はそのまま食べたようですが(家康も食べたとか書いてあります)、麻婆豆腐の味付けとかに使うと美味しいです。もちろん今でもそのまま食べたりします。
karatさん
私は浜納豆を食べたことはないのですが、確か本の中で「浜納豆みたいに使っている」と比較されていた納豆もありました。
アフリカでも一時は味の素とかマギーとか化学調味料が出回って、それから納豆に帰ってきたと語る人もいました。食べるものの種類が少ないところだからこそ、何でもいいのではなくて美味しいものが食べたいという願望が強いと書かれているところもあって、なるほどなと納得しました。
また、日本のナイジェリア料理店だったかな(?うろ覚え)どうしてもアフリカの味が出ないので、納豆を混ぜてみたというナイジェリア人がいたそうです(笑)。
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