日曜日の朝、ちょこっと骨董市をのぞいてみました。
すると、おもちゃ骨董のさわださんの店先に、「カバヤマンガブック」が3冊置いてありました。
「ん? マンガブック?」
マンガブックはいつごろつくられたものなのでしょう?
私が子どものころ見たカバヤの本は、もっと紙質の悪い、表紙絵が劇画調の「カバヤ文庫」でした。カバヤ文庫は、カバヤキャラメルについてくる文庫券を、確か50点集めて送ると1冊もらえるものでした。
カバヤ食品の会社や工場が岡山市にあったことで、倉敷市に住んでいた私やまわりの子どもたちは、新興のカバヤキャラメルになんとなく親近感を持っていました。
ところが、私を育ててくれた祖母は信念の人で、お菓子はリヤカーを引いて売りに来る行商のおばちゃんからしか買わなかったので、家にあるのはチャイナマーブル、ゼリービーンズ、おせんべいなどの袋菓子ばかりで、お店でカバヤキャラメルを買ってもらったことはありませんでした。
しかし、小学校の同級生で近くに住む、「ふたいとこ」のみねちゃんは年の離れた末っ子だったので甘やかされていて、カバヤキャラメルは買い放題、カバヤ文庫をたくさんそろえていました。2、3冊カバヤ文庫を持っていた人はたくさんいたかもしれないけれど、みねちゃんは桁違い、20冊くらい持っていました。
というか、みねちゃんの本棚にはほかの本はほとんどなかったので、読むより集めることに楽しみがあったのかもしれません。文庫券がたまると、リストから欲しい本が選べたカバヤ文庫は、1952年から54年までのたった2年の間しかつくられなかったみたいですが、それでも174作品もあったそうです。
ウィキペディアによると、カバヤ文庫は全国で、本に飢えていた子どもたちには熱狂的に迎えられたけれど、読み物に加えてマンガをつくったことで教育界から敬遠され、たくさんの在庫を抱えて、子どもたちに本を送ることを断念せざるを得なかったそうです。
確かに、漫画は子どもに与えるべきではない、悪いものと言われていた時代がありました。


6 件のコメント:
ゼリービーンズ、懐かしい。。。
明治、大正生まれのおばあさんが好むスイーツだと思っていたら、もとはアメリカあたりにルーツがあって現在に至るまで販売され、北米では今でもメジャーなお菓子だということに衝撃を受けました。
昔の本は、活版印刷と戦後しばらく旧字が使われているところが好きです。昭和12〜13年頃までは紙の質やページ数も驚くほど潤沢で社会的にそれなりに豊かさがあったのだろうと思わせますが、その後昭和25〜26年頃までは製本や紙質もひどいもので厳しい時代を偲ばせます。
かきつばた
かきつばたさん
ゼリービーンズは好きじゃなかったけれど、未亡人の行商のおばちゃんがリヤカーを引っ張って、「こうてぇなぁ」と言って来て、玄関にいろいろ広げて、身の上相談なんかもして、ときには涙も流したりして帰るのが一連の流れだったので、いつも家にありました(笑)。
本は全然買ってもらえなかったので、カバヤ文庫も読ませてもらいました。また、従妹の家に行くと、叔母(父の妹)もたぶん祖母に本を買ってもらえなかったのでしょう、従妹たちは驚くほどたくさん本を買ってもらっていたので、弟と二人で本棚の前から動けませんでした。祖母の姉の息子が本好きで、早くに戦死したのでそれで祖母は本嫌いだったのかもしれません。祖母は新聞は2紙も読んでいましたが(笑)。
家に本がないので、戦死した叔父の旧仮名遣いの夏目漱石やドストエフスキーなどは、小学生のとき仕方なく読んでいました。
春さん
ゲーテの旧仮名遣いは最悪ですが、漱石と鴎外は旧仮名遣いが良いかと思います。
ゼリービーンズなら甘納豆の方がはるかに良かったと思いますが、なぜだったのでしょう。アメリカ人と明治の女性のセンスは実は共通しているのか、など疑問は尽きません。
私の育った地域でも行商のおばちゃんがたくさんいて、中には今では信じられない距離を、大きな竹籠と風呂敷包みを持って鉄道でやってくる人もいました。
仕入れのセンスは各おばちゃんによって違っていて、当たり外れもあったように思いますが縄張みたいなのもあったようで別なおばちゃんから買うことは難しかったように思います。でも、それでも良かったのです。
昭和も遠くになりにけりです。
かきつばた
かきつばたさん
旧仮名遣いは見慣れると面白いものでした。それに昔の本は素敵なつくりでした。奥付のハンコなども面白いし。
そういえば、いろいろな豆の甘納豆も大きな袋詰めがあったような気がします。金平糖もあったかもしれない。家の中まで入ってくるお菓子の行商のおばちゃんは一人きりで、隣町からリヤカーを引いて歩いてきていました。
なんでも屋さんは近くに2軒あって、いろいろなお菓子も売っていたけれど、お使いの時にちらっと見るだけで、何を売っていたか覚えていません。でもお駄賃でガラス瓶に入っている飴玉をもらったりしていました。
東京で、高校、大学と電車通学をしていたころ、車内で行商のおばちゃんたちとはほぼ毎日のように会っていたので、たくさんいらしたのでしょうね。みなさん、千葉方面からいらしていました。風呂敷に包まれた四角い籠の中は見えませんでしたが、お菓子ではなく野菜だと思いますが。
カバヤは岡山の会社だったんですね!カバヤ文庫、魅力的です。
総武線に行商のおばちゃん乗っていましたね~。
hiyocoさん
カバヤはローカルな会社と思い込んでいました(笑)。点数を集めると本を送ってくれるなんて、今考えると画期的です。子どもは点数も文庫も集めるだけで嬉しいし。
総武線のおばちゃんたち、壮観でしたね。みんな消えてしまったんだろうけれど。
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