2020年4月25日土曜日
2020年4月24日金曜日
蛇神は降りてきたか
かつて、我が家のコンクリートのトイ(実際はトイとして使っていない)に、マヤの蛇神が現れたと言ったら、夫から、
「瓦の影だから、1年に1日とかではなくて、春分から秋分まで毎日同じ現象がみられるはずだ」
とあざ笑われたことがありました。それは、8月のことでした。
後日、確かに反対の東側からも、同じ現象が見られました。6月のことでした。
お天気のいい朝、
「そうだ、4月の今は影はどうなっているんだろう?」
と、見てみました。
そして、4月の影は、6月の影と違ってうろこ状、つまり太陽が低い位置にあるので、瓦の端をたくさんの映していました。
時間がずれれば、陽が登って、うろこの数が減るでしょうか?
いえいえ、数が多いまま、影は内側へと逸れていきました。
2020年4月23日木曜日
布の整理
懸案事項の一つ、地下室の布が入った箱の整理をすることにしました。
箱の中は安全だろうと、長年放置していましたが、湿気の多い地下室のこと、できたら早く別の場所に移した方がいいに決まっています。
このような箱は、柳行李よりは後の時代ですが、まだ段ボール箱がない時代で、移動、とくに外国に荷物を送るときの必需品でした。
この中に、主には無地のシーチングの色布を入れています。
箱を開けると、ちょっとかび臭いにおいがしました。このまま片づけるわけにはいかないので、たくさんありますが、全部の布を洗濯することにしました。
洗濯機はその日、5回もまわしました。
これはもう、3回分ほど洗濯機を回した後の布の山です。
洗濯は洗濯機任せですから簡単ですが、面倒だったのはアイロンかけでした。
乾いてからアイロンをかけるよりは楽だろうと、洗濯機から出した布にアイロンをかけてから干したのですが、洗濯機1回分の布にアイロンをかけるのに、1時間くらいかかりました。
ということは、5回分ですから約5時間、じっと立っているのは圧迫骨折している背骨にひびき、連続してはアイロンをかけることは、到底できませんでした。
それでも休み休み、何とかアイロンをかけ終わりました。
これは、まだ洗濯機1回分の布、鼻歌交じりのときの写真です。
これから、雨が降りそうだったので物干しは室内に移し、残り4回分の布にアイロンをかけ、干場がなくなったので、あちこちに布を何枚も重ねたりしながら干し、終わった頃には日はとっぷりと暮れていました。
さて、箱もまた、きれいに掃除しました。
とは言え、金具はすっかり錆びてしまって、錆び取り油を吹きかけて磨いたのですが、そんなにはきれいになりませんでした。
1960年代、どの町にも布屋さんがありましたが、それは服をつくるための布屋さんでした。夏は服用の木綿を売っていましたが、冬売っているのはウールやビロード、コーデュロイといった厚手の布ばかり、年間を通してパッチワークなどの細工用の木綿布を売る店はありませんでした。
1970年代になると、冬でも輸出木綿の余りを売る小さいお店が現れました。ただし、全部ブロードと呼ばれるのツルツル光った布で、どぎつい色ばかりで色数も少ないもので、欲しい色が全部そろうというわけではありませんでした。
当時は幼児を抱えて外に出ることができず、家でパッチワークをつくっていましたが、シーチングのような、光らないしっかりした木綿の色布が欲しいなら、そのころ流行っていた染料ダイロンなどを使って、自分で染める以外ありませんでした。
そんな中、次々とパッチワーク需要などを念頭に置いた木綿屋さんができてきました。
そんな木綿屋さんの一つKから、シーチングの色布を売りたいのだけれど、色出しを手伝って欲しいと言われ、20色ほど色を出してあげたことがありました。謝礼は要らないけれど布が欲しいと言っておいたので、2メートルずつだったか3メートルずつだったか、全色の布をいただきました。たぶん、日本初(もしかして世界初?)のシーチングの無地の布が、お店で販売されたのでした(それまでも、当時出はじめた既製服の中にはシーチングに似た生地を染めて仕立てたものもありました)。
箱に入っているのはその残り布ですが、手元には、20色ではきかないほどいろいろあるので、その後もKでは新しい色のシーチングを売り出し、私はお手伝いしなかったのに新しい色の布もいただいたものと思われます。
そのKも、昨年だったか一昨年だったか、お店を閉めてしまいました。木綿屋さんが一世を風靡した時代が終わったのでした。
箱の中は安全だろうと、長年放置していましたが、湿気の多い地下室のこと、できたら早く別の場所に移した方がいいに決まっています。
このような箱は、柳行李よりは後の時代ですが、まだ段ボール箱がない時代で、移動、とくに外国に荷物を送るときの必需品でした。
この中に、主には無地のシーチングの色布を入れています。
箱を開けると、ちょっとかび臭いにおいがしました。このまま片づけるわけにはいかないので、たくさんありますが、全部の布を洗濯することにしました。
洗濯機はその日、5回もまわしました。
これはもう、3回分ほど洗濯機を回した後の布の山です。
洗濯は洗濯機任せですから簡単ですが、面倒だったのはアイロンかけでした。
乾いてからアイロンをかけるよりは楽だろうと、洗濯機から出した布にアイロンをかけてから干したのですが、洗濯機1回分の布にアイロンをかけるのに、1時間くらいかかりました。
ということは、5回分ですから約5時間、じっと立っているのは圧迫骨折している背骨にひびき、連続してはアイロンをかけることは、到底できませんでした。
それでも休み休み、何とかアイロンをかけ終わりました。
これから、雨が降りそうだったので物干しは室内に移し、残り4回分の布にアイロンをかけ、干場がなくなったので、あちこちに布を何枚も重ねたりしながら干し、終わった頃には日はとっぷりと暮れていました。
さて、箱もまた、きれいに掃除しました。
とは言え、金具はすっかり錆びてしまって、錆び取り油を吹きかけて磨いたのですが、そんなにはきれいになりませんでした。
1970年代になると、冬でも輸出木綿の余りを売る小さいお店が現れました。ただし、全部ブロードと呼ばれるのツルツル光った布で、どぎつい色ばかりで色数も少ないもので、欲しい色が全部そろうというわけではありませんでした。
当時は幼児を抱えて外に出ることができず、家でパッチワークをつくっていましたが、シーチングのような、光らないしっかりした木綿の色布が欲しいなら、そのころ流行っていた染料ダイロンなどを使って、自分で染める以外ありませんでした。
そんな中、次々とパッチワーク需要などを念頭に置いた木綿屋さんができてきました。
そんな木綿屋さんの一つKから、シーチングの色布を売りたいのだけれど、色出しを手伝って欲しいと言われ、20色ほど色を出してあげたことがありました。謝礼は要らないけれど布が欲しいと言っておいたので、2メートルずつだったか3メートルずつだったか、全色の布をいただきました。たぶん、日本初(もしかして世界初?)のシーチングの無地の布が、お店で販売されたのでした(それまでも、当時出はじめた既製服の中にはシーチングに似た生地を染めて仕立てたものもありました)。
箱に入っているのはその残り布ですが、手元には、20色ではきかないほどいろいろあるので、その後もKでは新しい色のシーチングを売り出し、私はお手伝いしなかったのに新しい色の布もいただいたものと思われます。
そのKも、昨年だったか一昨年だったか、お店を閉めてしまいました。木綿屋さんが一世を風靡した時代が終わったのでした。
2020年4月22日水曜日
香水瓶、ローション瓶
二階を掃除していたら、AVON(エイヴォン)の香水瓶が出てきました。
タイで暮らしていたころ、友人のスモンにもらったもの、香水には無縁の私は一度も使うことなく、今まで蓋を開けたこともありませんでした。
ビンには白鳥と馬のレリーフが代わりばんこに、回転木馬のように配されています。そういえば、ビン全体も回転木馬のような形をしています。
調べてみると、AVONはニューヨークで1884年に創設され、1886年から香水を発売していたようで、とってもかわいい、コレクタブルなビンがたくさんつくられたようでした。
ネットで見ると、日本のコンペイトウビンのようなかわいらしいビンがいっぱいありました。
また、ガラスビンだけでなく、磁器製の香水瓶もいろいろつくられたようでした。
私が持っている回転木馬の形のものは、今も売られていました。説明書によると、1970年代につくられたもののようでした。
AVONは一世を風靡したようですが、今はどうでしょう。アメリカではなく、イギリスを本拠としているようです。
さて、これは、ガーナに住んでいたころ、お隣さんだったアメリカ人のジョオンにもらったローションのビンです。
なんでもらうことになったのか、まったく覚えていませんが、中身を使い切った空きビンでもらい、きれいだなぁとずっと大切に持ってきました。
人生で初めて手にした空きビンは、学生のころ家族と行って飲んで持って帰った、鬼押し出しのラムネビン、第二番目がこのビンでした。
蓋はコルクですが、金属部分が繊細で素敵です。
このビンがいったい何ものか、長く調べようもありませんでしたが、ネットはすごい、ROYALL LYMEは、イギリス領バミューダで生まれた香料会社だという情報がありました。
底には、見にくいのですが、MADE IN ENGLAND ROYALL LYME L.CO.とエンボスがあります。
2020年4月21日火曜日
2020年4月20日月曜日
掃除するぞ!ってわけじゃないけれど
でも、お菓子づくりや手の込んだ料理はできても、掃除はやっぱりできないという声もあるようです。家の中をものすごくきれいにしている人は普段からきれいにしていて、私のように適当にやっている人や掃除を後回しにしている人は、なかなか「掃除の楽しみ」を見つけられないのかもしれません。
這いつくばって、ごみは一つも残さないぞと丁寧に掃除機をかけて、やれやれと掃除機をしまってからごみを見つけてしまうむなしさ。もっとも、そんなむなしさを味わっているのは、私だけなのかもしれませんが。
床はよく見ていても、上はそう見ていません。光線のあたり具合でクモの巣が見えたり見えなかったり、気がつくと細い糸が垂れていることがよくあります。
目を開けていても、見ようとしないものは見えてないことがわかります。
しばらく前から、食器棚の戸が開きにくくなっていました。
とうとう、途中から開かなくなったので、戸を外して削ろうと思いながら、とりあえず木の粉を掃除機で吸い取り、雑巾がけすると、あら不思議、難なく開くようになりました。
「なぁんだ」
木と木がこすれて、少しずつ細かい粉がたまるのですが、それが原因で開きにくくなるとは考えていませんでした。
さて、これを機会に食器棚の中を掃除して食器を整理しようと、食器棚の八分の一ずつ、中の食器を取り出して掃除して、奥の方の何年も使ってなかった食器を前にやったり、散らばっていた同類を集めたりしました。
ところが、念入りには八分の二やっただけで疲れてしまい、あとは適当に済ませました。
「まっ、いいか」
というわけで、掃除は奥が深いです。
2020年4月19日日曜日
蘇れ、ユンボ!
長く放置されていたユンボの修理は、テラスづくりが終わって、やっと着手されました。
息子が来ていたとき、破れた高圧ホースの分、1本だけ買ってきていたものを取りつけてもらって、動かしてみたのですが、あっというまにほかの古いホースが破れて油が吹き飛び、夫は油だらけになってしまいました。
やっぱり全部取り換えてから試してみるべきでした。
高圧ホースは全部で6本、それぞれ長さが違います。
それを取り外すのが、まず大変でした。
製造当時(1980年代?もっと前?)から長くそのままだったので、ナットが錆びついていて、いろいろなスパナを駆使して、やっとのことで全部取り外すことができました。こんなところでも、握力が落ちているのが響きます。
ネジが、ネジ切れてしまって穴が開いたところもあり、そこは夫が慣れない溶接をして、穴を埋めました。
どこもかしこも、錆びだらけ、油だらけ。
それでも、夫は元気に直しています。
注文していた油圧ポンプが5本届いたので、近々、ユンボはかつての雄姿を取り戻すはずです。
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