普段、二人だけでお茶を飲むとき、緑茶ならこの急須、紅茶ならこのポットと、ほぼほぼ決まっています。
右はコーヒーポットですが、コーヒーは夫が1000回使えるフィルターでもっと大きいポットにつくるので、これはもっぱら紅茶用として使っています。
この急須に手が伸びるのは、ちょうどマグカップ2杯分だからです。
何年も緑茶をマグカップで飲んでいますが、マグカップ2つにお湯を注ぎ、ちょっと冷まして急須に移すと、ぴったり縁までお湯がきます。
確か、常滑の原田晴子さんの急須。茶こしのところがとてもよくできていて、洗うのも簡単です。
これは、どなた作だったか忘れてしまいましたが、やはり茶こしのところが丁寧につくられています。
大きめの急須の出番がないのは、普段からそうですが、お客さんのときはあらかじめポットにルイボスティーをつくっておくからです。普段使いの急須でさえ、ポットのルイボスティーが切れているときしか出番がありません。
右は、毅さんのお兄さんの川崎忠雄さんの急須、煎茶用ですが、煎茶をゆっくりたしなむという雰囲気は我が家にはなくて、最近はお客さんに出すこともなくて、まったく使っていません。
かつては大量生産の、有田、常滑、萬古などでしかつくられてなかった時代、笠間の小川甚平さんの急須は、群を抜いていました。
何度か工房を訪問したこともあったし、使いやすい急須を探していた夫の母を伴ってうかがったこともあり、夫の母も右の小さい急須を、おそろいで買いました。甚平さんのはお話では、夏は土が乾きやすいので急須づくりには適してないとのこと、冬だけ制作されていました。
その甚平さんの大きい急須の蓋が割れたのは、30年も前のことでした。蓋がなくても捨てられなくて、いつか蓋をつくってもらおうと取ってありました。それが、買ってから20年近く経って、思いがけなく笠間の近くに越してきて、笠間で催された陶炎祭(ひまつり)に行ったとき、小川さんがまだ作陶されているかどうか不明でしたが、ブースを探してみました。すると、あった、配られた見取り地図に従ってブースまで行ったのですが、どうしたことか、並んでいたのは私が思っていたのとは違う焼きものばかりでした。急須もありましたが、ピンときませんでした。
蓋は、それっきりになっています。
今ならどんなのをつくっていらっしゃるのだろう、これも35年くらい前のものです。
数年後に割れてしまい、買ったデパートに行ったら、幸運にも同じものがあったので買って、蓋だけ残った方は、招き猫の飾り棚に収まっています。
これは長く使っていましたが、二人分としてはちょっと小さい、マグカップでお茶を飲むようになってからは、お蔵入りしています。
注ぎ口に穴があいているだけなので、茶こし機能はありません。茶こしとセットで使わなくてはならないし、重いのでこれも使っていません。
ただこれは、カンボジア人が使っていたように、タイに移住した中国人が、一々お茶をつくるのではなくて、大量につくっておいて、ちびちび飲んだもののようです。茶葉は底に沈むので、ゆっくり注げば問題なかったのでしょう。
あぁぁ、こんなに急須を持っているのに、常時使っているのはたった一つ、とっても無駄なお話でした。
6 件のコメント:
急須長者ですね!
今使っている蓋がないタイプの急須は、アディーの毛が舞ううちには向いていないので買い換えたいのですが、どれがいいのか迷いに迷って買えずにいます。
川崎毅さんの湯呑の底の絵は、形を作ってから筆で描くんですよね?繊細過ぎて驚きです。
hiyocoさん
何ごとにも、長者となるのを良しとしています(苦笑)。というか、場所ふさぎですが、愛でるのを楽しんでいます(^^♪
hiyocoさんも、自分で入れる熱いお茶の方が好きですか?いまは、ペットボトルの冷たいお茶の方を好む人の方が増えているので、急須の出番も減っているでしょうね。
いい急須は、茶こし部分がよくできている、蓋がしっかりはまって注いでいるとき落ちない、注ぎ終わったとき水切れがいい、そして洗いやすいなどでしょうね。
昔は、ぽたぽたとお茶が垂れるので、口に添えて置く布巾が必需品などという急須もいっぱいありました。口は形や薄さで切れがよくなるようです。
川崎さんは兄上の方が繊細な絵つけをされます。毅さんは今は食器はほとんどつくってはいないようですが。
急須も沢山!
落日荘道具館の展示アイテムはどれだけになるのでしょう。
近頃は急須の存在を知らない子供たちが増えているとか。
お茶はペットボトルに入っているものと思われている様です。
かの建築家
ミース・ファンデルローエ曰く、「less is more」
ロバート・ヴェンチューリ曰く、「less is bore」
だそうです。(建築士試験対策で覚えました。)
春さん曰く「more is fun」
と語り継いで、差し支えないでしょうか?
reiさん
これは一応展示品ではなくて、全部現役です(笑)。
ただ、使い勝手がいいというだけで、偏って使っているので、出番がなくて、戸棚の肥やしとなるものが、出てきてしまっているという状況です。
このところ、急須でもてなされたという経験がずいぶん長くないような。ポットから熱いお茶というのはありますが。
急須がない家も増えているでしょうから、子どもは知らないし、急須の生産も急速に減っているでしょうね。
akemifさん
「less is more」はよくわかります。私の理想ですが、素敵なものを見ると、つい手元に置いて置きたくなります(笑)。
外国に赴任した直後など、何も家にない生活も何度も経験しました。でも、すぐに何かを手に入れて来て、空間を埋めたくなってしまいます。もしかしたら、空っぽの空間恐怖症なのかもしれません(笑)。
それが行き過ぎると、ものだらけになってしまいますね。それによって失うことも多いのかもしれませんが、どの「もの」にも物語がついてきますから、いつまでも楽しめることになります。
10年前に、約20年ぶりに、デンマーク人の友人宅に行ったとき、「あの実はどうしたの?」とか、「あの土瓶はどうしたの?」とか以前バンコクの家に飾ってあったものについてあれこれ質問して、「えっ?」とうろたえさせたことがありました。彼らは気が変わって手放して、すっかり忘れていたのです。
そんな他人の家まで、私はものとセットで記憶しています(笑)。
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