ルーマニアのものとされていますが、どうでしょう?あの辺りは、人も文化も行きかっています。
接着は、樹脂を使っているようです。19世紀の終わりから20世紀の初めにつくられたものです。
へぎ板には、目の詰んでいる天然木を使います。
ある程度の長さに切った材木に、柾目で板がとれるように刃ものを当て、槌で叩いて割れ目をつくり、そこに手を入れて、少しずつ割ります。すると、機械のなかった時代でも、薄い板をつくることができたのです。そして、機械のある現代でも、曲げわっぱをつくろうとしたら、こうやって板をつくります。
それにしても、へぎ板を使った曲げわっぱが、世界の広範囲でつくられていたことに、驚いてしまいます。
ルーマニアの箱は、厚みが1ミリから2ミリ、弁当箱は厚みが2ミリから4ミリ、これだけの差で感じは全然違います。ルーマニアの箱は乱雑には取り扱えませんが、お弁当箱には少々乱暴に扱っても壊れない安心感があります。
へぎ板は、厚くならいくらでもできますが、薄くへぐには熟練の腕を必要とします。
薄い曲げわっぱにはあまり強度は望めませんが、薄くへぐと、限られた材料からたくさんとれます。それゆえ、例えば女性がかぶる、小さいけれど高級な帽子を入れる箱だったのではないかと思うのです。例えば、結婚式の髪飾りのような。
イギリスの帽子入れ |
普通、帽子入れは丸い形をしています。紙の帽子入れもありますが、家庭で保管しておくには、ブリキや鉄の帽子入れが使われました。
紙でつくるより、木で帽子入れをつくる方が安くできる時代があったこと、紙があふれている今から思えば不思議ですが、紙はとても高価なものでした。
余談ですが、幅13×22センチ、高さ10センチの日本の曲げわっぱには、通称一升飯を入れました。
身にも蓋にもぎゅうぎゅうにご飯を押し込み、わずか数ミリで合わせて縛り、山などに持って行きました。一仕事した後、蓋に詰めたご飯を食べて、残りは昼に食べます。
昼には、蓋に水と持参した味噌を入れ、熱した石ころをその中に放り込み、熱い味噌汁も飲みました。たぶん、味噌汁には摘んだ山菜なども入れたのでしょう。このくらい食べなくては、斧で木を伐るなどの力仕事はできませんでした。
4 件のコメント:
子供の頃近くに白系露人の骨董品店があり結構賑わっていました。
ロシァ革命前後かなー
カラフルな洗面器が子供心に美しかったです。
小学校まで子供は親と女風呂です。笑
昭ちゃん
白系ロシアという言葉は死語ですね。中学の同級生にいました(^^♪
カラフルな洗面器とは花など描いた塗りの鉢のことでしょうか?
今は変質者も多いので、小学生の女の子を男風呂に入れてはいけないことになっていますが、私も父と男風呂にも入っていました。なぜ父と行ったのかという記憶はないのですが、倶利伽羅紋々というのか、首から上と手先と足先以外は全部入れ墨したおじいさんをはじめて見たときの光景、今でもはっきり覚えています。それより少なめに入れ墨した人は、いっぱいいましたね。今では、入れ墨は公衆浴場ではお断りしていますが。
私の友人は遊びてだったなー
見えない処に入れ墨を、右手の指の間に。
昭ちゃんは騙せないなーって。笑
昭ちゃん
胡散臭いこともいろいろあったけれど、おおらかではありましたね(笑)。
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