2012年2月24日金曜日
恵比寿大黒
イザベラ・バードの『日本紀行』 上下二巻(講談社学術文庫)を読むと、明治初期の日本の様子が、映像になって目の前に浮かんできます。
彼女が旅をしなかったら知ることのできなかった、開国後間もない当時の生活には興味が尽きません。
ただ、彼女が恵比寿大黒を、「富の神」と苦々しく思い、何度も言及していることだけには、ちょっと、異議を唱えたくなります。
『日本紀行』は、1878年(明治11年)に横浜に上陸し、東京から徒歩と馬で東北に旅した、イザベラ・バードの見聞録です。
子どもの遊び、農民の暮らしぶり、食べ物、自然の様子など、いろいろな事象を詳細に観察していますが、そのなかに、どこ家にも恵比寿大黒が祀ってあり、人々が全身全霊で信仰していたとの記述が何度か出てきます。
彼女は、恵比寿大黒を、お金持ちになりたいという、物質主義の象徴とだけとらえているようでした。人生は、仏教なり、キリスト教なりを信仰して、もっと深く(哲学的に)考えなくてはならないと、嘆いています。
イザベラ・バードは当時の人ですから、もちろん敬虔なキリスト教徒でした。当時、日本に来ている西洋人の多くが宣教師であり、イザベラ・バードは彼らとも親交がありましたが、他の外国人と比べると、異教である仏教をよく知ろうとしている様子がうかがえます。
そんな彼女から見ても、恵比寿大黒信仰は、容認しがたいものだったようです。
でも、私には恵比寿大黒信仰は、物質主義の表れだけだと、思えないのです。大漁を願う漁労者の願いであり、大黒は豊作を願う農業者の願いであったと思われます。
もちろん、人々は大漁や豊作を森羅万象にも祈っていたと思われますが、形として、家にお招きしてお祀りしていたのが、恵比寿大黒だったのではないでしょうか。
自然災害は珍しいものではなく、シケに見舞われ、凶作にも見舞われる中で、
「どうか、無事に漁ができて、大漁であって欲しい」
「どうか、豊作であって欲しい」
という気持ちが、恵比寿大黒信仰につながったと思われます。
しかし今では、恵比寿大黒に大漁を願う心、豊作を願う心はすっかり失われてしまいました。
そんな、行き場を失った恵比寿大黒が、骨董市などには多数出回っています。
我が家の神棚の、その真ん中に祀っている、お社つきの木彫りの恵比寿大黒も、そんな骨董市からお迎えしたものです。
柔和なお顔の恵比寿大黒。
裃が後ろに跳ね上がっているのが、天使の羽のように見えてしまう、恵比寿さまです。
山形県米沢市の相良人形の恵比寿大黒。
招き猫の恵比寿大黒は、人々の恵比寿大黒への思いの変遷も知らぬげに、陽気に踊っています。
ちなみに祖母は、恵比寿さまのことを、「えべっさま」と言っておりました。
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2 件のコメント:
春さんの文を読むと、大黒様が愛おしくなります。田舎の黒光りする大黒様、子どもの頃の印象は近寄りがたい雰囲気でした。井戸にも水神さまがお祭りしてありました。こういう風習を実際に体験した私でさえ忘れかけています。
今度、大黒様に出会ったら話しかけてみようと思います(^^)
mmerianさん
私も、神様や仏さまの売り買いには抵抗を感じるのですが、あまり巷にあふれていると、なんだか申し訳ない気がしてきます。
でも幸い、恵比寿大黒のコレクターは多いみたいです。先日も知り合いの骨董屋さんが、彼から恵比寿大黒を買うといいことがあるので、買い続けている客がいるという話をしていました。株とか儲かるのですって。そんなあぶく銭のために使われているのも、可哀そうですが(笑)。
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