遅まきながら、ひっつき虫を手に入れました。
以前、土間入口の上に飾ってあるガラスビンを両面テープで固定しておいたのですが一部だけだったし、ひっつき虫が欲しいなと思っていたのです。
両面テープでくっつけてからどのくらい経ったかしら。意外とよくくっついていました。
でも、掃除がてら、全部交換することにしました。
ガラスビンはたいてい底がくぼんでいます。
で、こんなふうにやってみたんだけれど、
ちょっと不安定でしょうか。
そこで、かまわずくぼみに貼ることにしました。
くぼみの深いビンは、ひっつき虫を立てて貼ってみました。
置いてから、ぎゅっと押しつけます。
先の地震では、太くて幅ぎりぎりのビンはアルミの棒の守れらていて無事でしたが、細いビンはほとんど落ちました。
しかし不思議なことに、薄い薄いニッキ水のビンは、木れんがの床まで落ちても六本すべてが割れず、二本あった分厚いラムネのビンは両方とも割れてしまいました。
今あるラムネビンは、寂しいので新しく買ったものです。
割れたラムネビンはもう家族でどこかへ行くのがうっとうしくなっていた学生時代の夏休みに、父にしつこく誘われて行った浅間山で、飲んだ空きビンを持ち帰り、ずっと捨てないで持っていたものでした。
掃除もしたし、地震対策もばっちりです。
10 件のコメント:
両面テープより幅があるので安定感が良いでしょうね、
とりあえづ卓上の子機受けを安定させましょー
ありがとうございます。
昭ちゃん
ひっつき虫は壁にポスターを張ることもできて、しかもきれいにはがせるということです。ただ、5年とか経ってもすっきり取れるのかどうか。
本当は招き猫など、飾り物全部にやったら安全ですが、また全部が落っこちるような地震が来たら、日本中の原発も壊れて、猫がひっついていたかどうかなんて騒ぎじゃないかもしれません(笑)。でも、ガラスビンが小さい地震で移動しないだけでも助かります。
北部九州は酒や魚が旨くて地震がないことを自慢していた私ですがありましたねー
「福岡沖玄海地震・M6弱・2005・03・21」
私の地域は始めて体験するM・4でした。
当時海岸で化石採取中で砂が吸収するのか感じませんでした。
帰宅してから棚の漂着びんが何本か、
われてはいないので猫かなぐらいの考えでした。
(家内は鳥取に旅行中)TVをつけて驚いたしだいです。
そういえばへりが数機めづらしいなーこんな感覚でした。
そちらは東日本地震いらい大変でしたね、
こちらはもう喉元過ぎれば、、、、忘れていますからね。
昭ちゃん
もう余震もほとんどありませんが、地震にはすっかり驚かなくなりました。震度6弱と5強は全然強さが違うし、揺れが強くても時間さえ短ければ何とかなることもわかりました。
でも6弱で5分も続くとお手上げでしたね。本棚の本も、ぴっちり入れておいたのに全部落ちました。
茨城も地震が少ないことを自慢していたようですよ。まあ、何が起こるか、一寸先はわかりません。
これだけ大きな地震があったのに前兆がないのかなー
地震雲も当てになりませんね。
松代群発地震(1965年)の発光現象や福岡も場合井戸の水位がさがっていたとか、後からいわれてもねー
「ぴちゃぴちゃ波」があったとか、、、
予知の難しさですね。
昭ちゃん
それまでも、ちょくちょく地震があったので、そう怖がってはいなかったというのも予知できなかった理由の一つかもしれません。
このあたり、ごーっという地鳴りがしてから地震がきます。それが、311の余震の中には、前触れがなくていきなり来るのもあって、勉強になりました(笑)。
東京では地震の前触れなどありませんね。いきなりです。昔山本周五郎の小説を読むと、天変地異がたくさん出てきて、「大げさだよ」と感じていましたが、関東大震災や空襲など経験すると、自然に書いたんだろうって、今なら納得できます。
俳優の池部〇さんの関東大震災体験談を読むと庭で遊んでいたとき、
ゴーっという音がして母親のそばに駆け寄ったそうです。
おっしゃる通り突然ですね。
母は長男を身ごもっていましたが、階段が広がって二階から降りられなかったそうです。
昭ちゃん
先の地震の時は、庭にいた私たちもぺったり座り込んで、家が平行四辺形になりながら、めりめりと音をたてて揺れるのをただ見ていました。窓を通して、本がひらひらと落ちているのが、不思議な感じがして、これはガラスが割れて家が倒れるのに違いないと覚悟していたら、揺れが止まりました。東西にも南北にも揺れました。
自然の力はすごいですね。
すごい実体験ですねー
「人間死に直面したら、、、」
猛烈な空襲の最中、母は呆然と立ちすくみ口の中で念仏を唱えていました。
動けない母を引きずってにげましたが同じですね。
68年前ですがいまだに念仏の声が忘れられません。
昭ちゃん
あはは、大変でした。玄関の上に飾ったビンが落ちて家に入る時から一苦労。でも、とにかく暗くなるまでに、犬猫が出入りできるよう、犬猫の動線だけでも片づけようと必死でした。
お風呂場の鏡も散乱、餌を置いていた食品庫もぐちゃぐちゃとにかく歩けるようになったのは暗くなる頃。電気がないので、情報はラジオだけ、次の日、配達された新聞を見る暇もなかったのですが、お隣さんが「新聞見て」と言うので見たら茫然としました。
そうこうしているうちに原発が爆発して、息子たちが逃げろというので逃げて、一週間ほどで帰ってきました。
やれやれでしたね。
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