大分県、もしくは熊本県でつくられた、おもちゃの豆腐籠です。その昔は、豆腐屋でこれに豆腐を入れてもらうと、持ち帰るまでに、いい塩梅に水が切れていたといいます。
おもちゃの豆腐籠は、おもには別府温泉のお土産ものとして売られていました。
この籠は、いつから私の手元にあるのか、あまり昔のことなので思い出せないほどです。網代編みの橙色と緑色、そして竹の元々の色の三色づかいが鮮やかでしたが、すっかり色褪せてしまいました。
先日、竹の編み方は違いますが、同じ形をしたおもちゃの豆腐籠(たぶん)に、骨董市で出逢いました。
子どものおもちゃとしてつくられたものだと思いますが、手の込んだ、難しそうな編み方です。
惜しくも、一ヶ所破れてしまっています。
ぶつけたか、落としてしまったのでしょう。でもそのおかげで値段が格安だったのだから、よしとしなくてはなりません。
やはり、別府あたりの籠だと思います。
以前フリーマーケットで出逢った、二段重ねの籠です。
持ち手が一本だけですが、これも別府あたりの籠ではないかと思います。
手に入れた時も場所も違うおもちゃの豆腐籠たち、偶然ですが編み方が違っていて、どれにもそれぞれの味わいがあります。
おもちゃでなく、実用サイズのおかべてごです。
おかべとは鹿児島の言葉で豆腐のこと、てごとは籠のこと、鹿児島県の西園親之さんのつくったものです。
蓋は、太さの違う竹を組み合わせて編み、複雑な模様をつくり出しています。
全部編み方が違っている豆腐籠たち、熊本県日奈久のお弁当籠も、もともとは豆腐籠のようです。
九州、四国ではこの、四角い形の豆腐籠を使っていますが、
岩手県、長野県では六角形で、持ち手はついているけれど蓋のない、籠目編みの豆腐籠を使っていたようです。
そのほかの地域では、豆腐料理の違いなどから、豆腐籠は、存在しなかったのではないかと思いますが、どうだったのでしょう?
私が小さい時を過ごした倉敷では、自転車の後ろに豆腐を積んだお豆腐屋さんが来たら、磁器の鉢(昔はボウルとして使っていたもの)や小鍋に入れてもらった記憶があります。
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