今戸焼の鉄砲狐の一対です。
ヤフーオークションで見て、ついつい実物を見たくなってしまいました。
一匹は、今戸焼によくありそうな、優しい顔をしていますが、
雄でしょうか、もう一匹は、なかなか精悍な顔をしています。
手にしたとき、最初の印象は、
「わぁ、小さいなぁ」
というものでした。
でも、手持ちの鉄砲狐と比べてみたら、顔が小さくて、全体は細いのですが、高さはそう変わりませんでした。
しかし、なぜ、色つけをしていなくて、白いままなのでしょう?
説明には、デッドストックとあり、何セットもあったようでした。
絵つけされないままで、どこかにしまわれていたものでしょうか。
いまどきさん(吉田義和さん)がつくられた、浅草被官さまの鉄砲狐たちは、ひとまわり大きいものです。
もっとこ、被官稲荷神社の希望で、ふっくらとつくられているそうです。
いまどきさんのホームページの、鉄砲狐の写真をお借りしてみました。
「いろいろあるなぁ」
いまどきさんのコレクションを見ても、戦前の今戸焼の鉄砲狐の型は一つや二つではなく、窯元によって、作者さんによって、いろいろあったことがわかります。
底の感じは、みんな似ています。
いまどきさんによると、台の低いものが古いものだそうです。
とすると、この彩色していない鉄砲狐は、そう古くないのものなのか?
ちなみに、浅草被官稲荷では、今戸焼の鉄砲狐制作が絶えてから、京都の窯元に鉄砲稲荷を発注していました。
京都の鉄砲狐は、粘土をドロドロにして、型の中に流し込んでつくる、大量生産方式でつくる鉄砲狐でしたが、数年前からそれをやめて、いまどきさんの鉄砲狐を採用しています。
被官さまの社務所は毎月、1日と15日しか開いていませんが、鉄砲狐は浅草神社の社務所で手に入れることができるようです。
いまどきさんの鉄砲狐は、京都の製法とは全く違っていて、一つ一つ、型の中に粘土を貼り、それを合わせて乾かし、型を外して、型の合わせ目のバリを削って仕上げる、大量生産できない方法です。
6 件のコメント:
漱石の坊ちゃんの中に「今戸焼の狸のような、、、」
こんな表現がありますが、
今でも焼いているのですか。
昭ちゃん
何軒もあった窯元が戦争前後に絶え、それまでは人形をつくっていなかった白井家だけが、譲り受けた型を使って、細々とつくっていました。
しかし、種類が限られていることや、廃絶したものがたくさんある現状を憂いて、今戸焼の収集家であり研究家でもあった吉田義和さんが、昔の今戸焼を再現、そのうち、職を辞して本職となって、つくり続けていらっしゃいます。
浮世絵にあるように、だるま窯から煙が上り、遠くには富士山が見えるという環境ではありませんが(あたりまえだけど、笑)、土や、昔の作り方、絵の具などにこだわってつくっていらっしゃいます。おかげで、吉田さんがいなかったら見ることのできなかった昔の今戸焼を、目にすることができます。
関東大震災や東京大空襲で埋もれていた古い今戸焼は、土地を整備したときにときおり出土するようです。江戸や東京の子どもたちは、今戸焼や鴻巣の練り人形に、とても親しんでいたとか。
メル友のmimiさんも江戸時代豊作を願って
畑にまいた「どろめん」を拾集されています。
これも面白いですね。
昭ちゃん
泥メンコが畑から出てくるのも含めて、何かを掘り出したり、拾うってわくわくしますね。
八郷には、家を建てようとしたら石器、土器、いろいろ出てきたので、面倒なことになる前に(笑)慌てて建ててしまった友人がいますが、ラジオを聴いていたら、プロ野球選手・監督だった梨田さんが家を建てようとしたら遺跡が出てきて、日本最古の住居群だったそうですね。はさみ山遺跡梨田地点ですって(笑)。
こんにちは。この地塗りだけの鉄砲狐は栃木県の佐野のものだと思います。郷土玩具の愛好家には有名な「佐野の土鈴」相沢市太郎さんというお爺さんが作っていらっしゃいました。プロポーションはスリムですっきりしていて今戸もものよりスマートですし、筆も安定しているので白井さんの崩れた鉄砲狐を見慣れた目にはとても秀逸にできていると思います。狛犬の阿云のように怖いのと優しいのとに顔が違っているのは相沢さんの工夫なのかよくわかりませんが、近世遺跡の出土品を含めて今戸の鉄砲狐の古いもので対で顔のモデリングを違えているという作例は観たことがありません。怖い顔のほうは江戸の里神楽の狐面の表情を上手に写していると思います。最近東京王子の「狐の行列」という復古調の新しい年中行事が定着してきて、各地の張り子の狐面なんかも当日鬻がれていますが。江戸前の狐のお面というのは怖い顔しているのです。また昔吉原の遊郭で大晦日に「狐舞」という芸能があったようですが、これも江戸前の怖い顔の狐面を使ったみたいです。地方の張り子には怖いのもありにやっとしたほほえましいのもありますが、今は優しい顔のが好まれるみたいですね。川越とか栃木市とか石岡もそうだと思いますが、古くから引き回しの山車のお祭りがありますね。山車の上で御神楽を催したりする中で馬鹿囃子といっしょに狐舞もありませんか。これも怖い顔の狐様だと思います。佐野の相沢さんの鉄砲狐は晩年群青色の代わりに紫色で縞を描いていらっしゃったと思いますので、群青いろのはもっと若い頃のものではないかと思います。
いまどきさん
ありがとうございました、佐野のものとは、全然気がつきませんでした。土鈴は見たことがありましたが、まったく結びつきませんでした。
石岡駅は最近、改札口が上にある駅に改装したのですが、先日、人を迎えに行ったら、駅前の観光案内所の開所式が終わったばかりだったようで、人が群がっていました。舞を舞ったらしく、着物姿の小学生の一団もいました。着物もたっつけ袴もちゃんちゃんこも、色はきれいだけれど素材が悪く、おまけにみんな運動靴だったので、着物を着る意味がないじゃないかと見ていたら、それぞれが手にしたお面は古いもので、狐もありましたが、はっとするほど美しいものでした。中には、おしゃべりに夢中でお面を落とした子もいて、見ている方がハラハラしてしまいました。
どうして古いお面が美しくて、新しい着物が美しくないか?その素材に隠された手仕事の度合いが大きいと思いますが、まがい物は所詮まがい物というか、形は整えても心はないという感じでしょうか。
そのときは、舞は観ませんでしたが、八郷の柿岡のお祭りでも、ひょっとこのお面を被って、大人顔向けに舞う子どももいます。それを観たときは、踊りに見惚れて、着物がどうか、履物がどうかなんて、全然気がつきませんでしたが(笑)。
今は怖い顔の狐を見ても何ともありませんが、子どもの頃は、やはり怖かったです。大人が、「あの人は狐つきだ」とか言うし...(笑)。
コメントを投稿