骨董市で、水屋さんが張り子のだるまの木型を持っていました。
ケヤキでできていてずっしり重く、艶々光っています。
「まだ仕入れたばっかり。いつもならしばらく店に置いて眺めているところだけど、持ってきちゃった」
「いいなぁ」
「こういうものにくわしくないけれど、松本のだるまの型は数万するそうだよ」
「へぇぇ、松本のだるま?」
「でもこれは、ほれ、あのもっとも一般的な、高崎だるまじゃないかな」
買おうかどうしようか、行きつ戻りつした挙句、いただいてきました。
「しばらく民芸には手を出さなかったけれど、面白いからまた買ってみようと思ってるんだ」
楽しみが増えます。そう言えば水屋さん、ここ数年は、わりと値の張る立派なもの(工芸品)を多く持っていたでしょうか。
さて帰って、高崎だるまと並べてみようにも、関東のだるまの代表である、群馬県高崎の少林寺のだるまは、我が家には一つもありません。
でも、昨年骨董市で見かけた、高崎だるまの型の写真があります。
あっ!額と鼻がつながっている。
ということは、このだるまの木型は、高崎だるまじゃない、一目瞭然でした。
水屋さんが松本だるまと言っていたのを思い出して、ネットで松本だるまを見てみました。松本だるまも、額の下がくぼんでいません。鼻とつながっています。
松本だるまの古形、繭玉形のだるまを復刻したという画像もありましたが、これでもありません。
そうか、松本だるまはもともと、お蚕さまがすくすく育つことを祈願してつくられたものだったのです。面白い!と関係ないことに感心します。
水屋さんが仙台の松川だるまと、松本だるまを混同した可能性もあります。私も、松川だるまを思い出そうとしたとき、
「あれっ、松崎だるまだったかなぁ」
と、「松」だけ覚えていて、あとを思い出せないときがあります。
というわけで、並べてみました。
似ている!たぶん、松川だるまでしょう。
となると、水屋さんが噂していたのは、実は松川だるまの木型だったのかもしれません。
というのも、松川だるまの方が松本だるまより名が知られているだろうし、できも上だと思うからです。
この松川だるまはお腹に恵比寿さまのレリーフがついていますが、ついていないものもあります。レリーフだけあとづけの可能性もあります。
現在松川だるまを製造している、本郷だるま屋の紹介記事には、創始以来受け継いでいるという、松川だるまの木型の写真が載っていましたが、額の皺があるなしが違います。
もっとも、約200年続く松川だるまは、本郷だるま屋のほかにも複数のだるま屋があったのか、いろいろな形の型があったのか、それとも変遷を経てきたのか、戦前のだるまは、形が全然違います。
『日本郷土玩具事典』(西沢笛畝著、岩崎美術社、1964年)に載っている写真にも、額の皺はありません。
『日本郷土玩具事典』には、「顔の周りを群青で塗り、本毛の眉、ガラスの目(ルリ玉)という、一種独特のだるまである」と書かれています。
二つ並べた写真の右のだるまの目が光っていると思ったら、これもルリ玉だったのでしょう。
木型には、貼った紙を割るために差し込んだナイフの傷跡が深くついているので、何度も何度も使われたに違いありません。
ちなみに、本郷だるま屋では、いまでも真空成型でなく木型を使っているようですが、今では季節ものではなくなって、通年需要があるので、年間6000個から7000個も生産していて、大忙しだそうです。
東北のだるまは力強い、前列、福島県三春の張り子も、額の下が引っ込んでいます。
松川だるまはもともと、何を中心に祈願したのでしょう。
だるまは転んでも起き上がるので吉運を、赤を多用しているので疱瘡除けを祈願したこととは思いますが、松川のだるまにはそれに加えて、宝船、恵比寿大黒など、おめでたいものがさらに描かれています。
人々はたくさんの願いを込めて、松川だるまを手にしていたことでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿