2021年12月25日土曜日

メリークリスマス

東エルサレムの教会の飾りつけ

NGOのHPに、パレスチナ人の住む東エルサレムの、今年のクリスマスの写真が掲載されていました。
パレスチナ人の多くはイスラム教徒ですが、キリスト教徒もたくさんいます。そして、ヨルダン川西岸は何と言ってもキリストゆかりの地、生誕や降誕の地、処刑場へと引かれていったゴルゴダの丘をはじめ、古くて由緒ある場所や教会であふれかえっています。

聖誕教会

キリスト聖誕教会のあるベツレヘムは、1990年代初頭には東エルサレムから乗り合いタクシーで、途中にイスラエルの検問はあるものの20分くらいで行けました。
ところが、イスラエルのパレスチナ人の移動を禁じる検問の厳しさは年ごとに増し、1990年代の終わりごろには、パレスチナ人がベツレヘムに行こうとすると、大きく迂回して、検問所の少ない砂漠を通るルートでしか行けなくなり、1時間以上もかかるようになっていました。
それでもまだ、パレスチナ人の居住区を囲う高い壁はありませんでした。


ところがそれから、ベツレヘムの周りには高い壁がつくられ、今ではこんな検問ゲートができて、パスポートがなければ出入りできなくなっているそうです。

東エルサレムの鼓笛隊

ヨルダン川西岸地区は四国くらいの大きさです。イスラエルの武力による占領後はパレスチナ人の自治区でしたが、西岸はイスラエルが占領した地域に比べて地下水が豊富だったため、以後、イスラエルの人口が増えるにつれて、パレスチナ人の土地を奪ってたくさんの入植地がなし崩し的につくられました。特にソ連崩壊後は東欧諸国からの移民が急増し、入植地の建設が急ピッチで進み、その入植地や彼らの行動通路を守るため、武力が使われてきました。


いまでは、パレスチナ人の居住できる場所は、ほんのわずかです。

アサヒニュースより

東エルサレムのすぐ南のベツレヘムでさえこんな状態なので、ヤコブの井戸のある北のナブルスや、南端のヘブロンに行くのは、今ではほとんど不可能なのかもしれません。
もっとも、観光地としてイスラエルがどうしても欲しい東エルサレムやベツレヘムに比べて、規制は少しは緩やかかもしれませんが。

サンタの家

私はキリスト教徒ではありませんが、この地球上に同時代に住む人々に安穏な生活あれと願うばかりです。






2 件のコメント:

かねぽん さんのコメント...

こんばんは。
第一次世界大戦でアメリカのユダヤ資本と中東のアラブ人の戦力を必要としたイギリスが、「ユダヤの国を作る」とか「アラブの国を作る」とか約束したのがそもそもの間違いでした。結局ユダヤの国は作られたものの、アラブの国は作られず、紛争は100年続いています。
時間を巻き戻す事は出来ませんが、何らかの責任は取ってもらいたいものだと思います。

さんのコメント...

かねぽんさん
問題は、ユダヤ人が自分たちがされたことと同じことをアラブ人にしていることです。
「どうしてこんなことができる!?」と思われるようなむごいことをしているのも、分離教育の結果でしょうね。アラブ人を見ても人と思わなくていいという。
何とかならないかと思いますが道は遠い。知人でパレスチナのNGOで働いていて、何度もイスラエルの牢に入れられて激しい拷問を受けたりした人がいます。ユダヤ人女性と恋に落ちて結婚しましたが、どちらも祖国には居られない。ひっそり海外に移住しました(笑)。こんな人が増えるといいのだけれど、超まれです。