転んで大腿骨を骨折して入院中の、母の手術は大成功で、もうすっかり傷の痛みもなくなりました。
あとはリハビリだけですが、すでに入院すること一ヶ月、なんだかんだで脚の筋肉など身体のいろいろな部分が衰えていて、寝た状態から自分で起き上がることもままなりません。
それどころか、リハビリの一環である、長時間車椅子に座っていることを嫌がり、本人はそうは思っていないのですが、病院からはあまりリハビリに積極的ではない患者とみなされています。
普段はパズル好きで、クロスワードパズル、九マスに一から九までの数字を入れる九クイズ、四文字熟語などなど何でもござれですが、 病院ではなにもやる気が起きません。
新聞もあまり読みたがりません。
では四コマ漫画はと、妹が取り揃えましたが、
「看護婦さんに、のんきそうにしていると思われるのが癪だから、座っている時は漫画は読まない」
のだそうです。看護師さんも、
「これだけお願いしているんだから、ベッドに寝かして」
などと、顔を見るたびに懇願されるより、静かに漫画を読んでくれたら、どんなにか楽なことでしょう。
妹が、鉤針編みとか、なにか熱中できる手仕事はできないかと言っていたのを思い出し、くくり猿はどうかと試作してみました。
母は、縫うことは、昔は厭わなかったのですが、どうでしょう。
しかし、昔ながらの方法では、綿をしっかり詰めるのが大変なので諦めました。
ネットで見ると、最初から綿を入れてつくる、簡単なくくり猿の作り方が紹介されていたので、つくってみました。
これなら、十分ほどで一つできます。
母の思い出のある布ばかり切りそろえ、
頭布や紐も用意し、
綿も用意して、病院に持って行きました。
針山は、くくり猿と同じ方法でつくった唐子のついたものを用意しました。
「あらっ、病院にまで仕事を持ってきたの?」
「くくり猿よ」
「くくり猿。知ってるわよ、そんなの。そういえば、昔からいっつも仕事を持ってきて、子どもは私任せで、なんかやっていたわね」
「.....」
そうだったでしょうか?風向きが悪くなりました。
「私がつくるんじゃないの。お母さんがつくらないかなと思って」
「ご冗談でしょう。座っているのが精いっぱいなのに、そんなことできるわけないじゃないの」
「だって、たいくつするでしょう?」
「しょうがないねぇ。転んだのが運のつき。自分でつくれば?」
口ではそんなことを言っていますが、ちょっとつくっているところを見れば興味も湧くかしらと、見本をつくりはじめたら、
「つくっているのを見るだけで肩がこる」
と嫌みを言われ、とうとうやめて持ち帰りました。
なかなか、一筋縄ではいきません。
でも、明後日、リハビリ専門病院に移れることになりました。リハビリ病院は、日常生活ができて家に帰れることを目指している病院です。
なんとか前向きに取り組んで、早く家に帰って欲しいものです。
4 件のコメント:
春さん「赤いくくりさる」懐かしいです。
母が生前作ったのが残っていますがそれも座布団つきです。
家内に聞くと筑豊では知らないとのことなのでどこのものですか。
昭ちゃん
どこのものでしょう?京都の街角とか、どこかのお寺などでいっぱい見た記憶がありますが、はてどこだったか。
なんて適当に書いていないでネットで見ましたら、これは庚申の猿で猿田彦神と猿を結びつけたものらしく、京都八坂庚申堂にはくくり猿がいっぱい奉納してあるようです。そこで見たのですね。
くくり猿は手足を縛って欲望を抑えていますが、飛騨高山には「猿ぼぼ」という手足を縛っていないのもあるようです。
そうですか、筑豊にはないんだ。おもしろいですね。でも、「はじき猿」というおもちゃは、九州各地にありますよ。「猿」はいつも「去る」とひっかけられているのですね。
春さんの気持ち、読んでてとてもよくわかります。うちの父もこんな具合でしたから。それでもって付き添いにきている母が、それを見て不安からでしょうかパニックになってしまいます。でそれがまた大変でした。(こちらのほうが大変で、2年経ちましたが未だに平常心にならずです)退院してからも、似たような日々でしたが、徐々に変わってきています。といっても、昔の様なわけにはいきませんが。いずれ私もこうなるのかなぁ、、と思いながら今日一日を過ごしていますが、最後まで(人生)前向きで過ごしたいなあと頭では思っています。春さん御夫婦のように。
hattoさん
気持ちは何でもできるつもりで、身体が動かないのが悔しいようです。治りたいのに、今日の地道な努力が明日へ続く道とは、なかなか考えられない(笑)。
父も含めてわりと我慢強い人ばかり見てきたので、「入院して、このキャラの変化はなんだ?」と姉妹で笑っています。笑っている場合じゃないのですが。
でも、ありがたいことに少しずつ穏やかさを取り戻しています。
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