招き猫たちにも、土鈴になっているものがたくさんあります。 土鈴は、だいたい二つに割れる型に粘土を押しつけて成形して、それを合わせて焼きますが、合わせるとき中に土の玉を入れます。
2011年3月の地震のあと、足の踏み場もないほど割れてしまった猫たちのかけらが散乱している中に、いろいろな色の玉が転がっていました。
玉の数だけ、土鈴たちが失われてしまったのです。
可愛い猫たちは、いまどきさんこと吉田義和さんの、今戸焼の土鈴です。
普通の土鈴のように、溝を切って穴を開けていないのに、ちりちりと音がするのは、古い今戸人形の特徴だそうです。
助六の招き猫土鈴たち。
蝉丸さんの招き猫たち。
きむらさちよさんの猫土鈴たち。
京人形の招き猫たち。
はっきりしませんが、どちらも瀬戸の猫たちでしょうか?
秋田県の北浦土人形の土鈴は、わりと土が厚くて重いせいか、ほとんど割れてしまって、少ししか残っていません。残念でした。
こうして、招き猫の中から土鈴だけ集めてみると、土鈴が土人形にも増して、掌の上で愛でたくなるというか、親しみやすいのを感じます。
2 件のコメント:
当方へおいでくださりありがとうございました。そちらでは秋草など身近に咲いているのでしょうね。そういうところで十五夜を楽しめるのは羨ましいです。ところでおとりあげ頂いた丸〆猫ですが、作っている本人としては、土鈴というより「土人形」という意識でいます。みなさんご存知かと思いますが、各地に点在していた土人形の歴史を紐解くと、京都の伏見の土人形が地方に伝播して、模倣されて作られるようになったというパターンが多いと思います。今戸焼の土人形も例に漏れず、もともと焼きもの地場産業があったところへ上方からの下りもののひとつとして伏見人形が流通して、終いにはそれをもとに人形作りが始まったわけです。
現在作られている伏見人形には入っていませんが、明治くらいまでは中にガラ(土玉)が入っていました。伏見からの模倣で作られていいた産地でもそれを真似して土玉が入れられていたのです。江戸明治からの伝承で作られていた今戸の人形にもガラが入っているものが少なくありませんでした。しかし最後の生粋の作者であった尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)を最後に今戸焼の伝統は途絶えてしまいました。戦後別の家によって人形が作られていますが、尾張屋さんの時代までの人形とは色も形も異なるのは伝承がなかったためです。ですからそこの家の人形にガラが入っていないのも、伝承がないひとつの例です。ですから昔の土人形にはガラが入っていて振ると音がするのは、当時としてはそんなに珍しいことではなかったし、付加価値をつけるための方法だったのだと思います。土鈴と土人形の違い。それは鈴口を切るか否かではないでしょうか。江戸時代の近世の遺跡からは土人形とともに手びねりによる土鈴(型抜きではなく)もみつかっています。どんな色が施されたものであったのか伝世品を見たことがないのでわかりません。長々と失礼しました。
いまどきさん
コメントありがとうございました。しばらく入院していて、お返事が遅れました。
いまどきさんの、振ると音のする土人形は、助六で「土鈴」と言われ、すっかりその気になっていました。失礼しました。もとは伏見人形にもガラが入っていたのですね。
ところで、なぜ伏見人形にはあまり面白くないのかという分析を読んだことがあります。下手物ではなく上手物が間近にあり、いつもそちらを向いていたからとか。それを目にするまでは、なぜ他の地方の人形と比べて、皆がお手本にしたという伏見人形に味がないのか、もしかして自分に伏見人形のよさを見る目がないのかと思ったりしていたので、すっきりしたことでした。
それにしても、ガラという言葉面白いですね。「英彦山のがらがら」や、赤ちゃんのがらがら、とてもいい言葉なのに、消えようとしている感じがします。
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