糊ビンが好きです。糊ビンを見つけたとき、同じものを持っていたり、不当に高いと感じたら買いませんが、たいてい心惹かれます。
それでも、同じお店で同じ時に、別の関心を引くものがあったら、糊ビンの存在はあっさり忘れて、他のものに関心を移してしまいます。
私にとって、糊ビンはそんな存在です。
ラベルが残っている、ニシキ糊のビンです。
今でも糊をつくり続けているニシキ糊工業株式会社は、ネットで調べてみると昭和27年創業です。ということは、戦後7年も経ってから創業したというのに、このラベルはどうして右から書いているのでしょう?
現に、『輸入・廃盤文房具発掘メモ』 というブログに掲載されている、北名古屋市の「昭和日常博物館」に展示されているニシキ糊のビンのラベルは、左から書かれています。
形も、少し違います。
しかも、効用書きにも、諸所に古い漢字が使われているので、謎が深まるばかりです。
素敵な字だけれど、戦後だったら、もっと新しげなラベルをつくるはずだと思ってしまいます。
さて、糊ビンの蓋はねじらず、緩やかにかぶせるのが一般的です。
蓋の裏には、プリントがあります。
もし戦後つくられたものとしたら、進駐軍のゴミの中から出てきたか、あるいは救援物資(ララ物資)として配給されたコンデンスミルク(?)の空き缶の、再利用ではないでしょうか。
中に入っていた糊は、最後までしっかり使われたと見えて、指ではとり切れなかった糊がこびりついています。
底にニシキという陽刻があるのですが、どうやっても読めるようには撮れませんでした。
高さも直径も37ミリほど、家庭では使いやすい大きさです。
大きい糊ビンの方は、事務所などで使われた業務用だったのでしょう。
2 件のコメント:
何ものにもそれぞれの歴史があり面白いですね、
戦前わが家では営業用の大型でした。
どうしても真ん中に指を入れるので周辺部が硬くなり残ります。
商家ばかり歩く行商がいて
わが家に来るとへらで縁の塊を手際よく落とし新しい糊と入れ替えます。
僅かな口銭でしょうが、
鮮やかな手口でした。
昭ちゃん
糊を入れ替える職業があったのですか。びっくりです。それで食べていけたのですからよい時代でしたね。最近「人はなぜ山奥に暮らしたか」という番組があったらしいのですが、山奥には水も薪も身近にあり、雑穀を植えたら他の食材は手に入るし生きていけたということらしいです。
糊一つとっても、いろいろなことが考えさせられますね。ちなみに祖母の家では障子を貼るときは小麦粉を煮て糊をつくり、紙を貼り合わせたりするときは冷やご飯を自分で練ったそっくいを使いました。田舎ゆえ、糊ビンも常備していなくて、ましてや糊屋さんの出番はありませんでした(笑)。
コメントを投稿