2018年3月24日土曜日

『ジャックと豆のつる』


しばらく前に、益子の「内町工場」に行ったとき、『ジャックと豆のつる』(ジェイコブス作、イギリス民話選、木下順二訳、瀬川康男絵、岩波書店、1967年)を買ったのは、ただ、大好きな瀬川康男の絵に惹かれてのことでした。

そのとき、3冊買ったのですが、『ジャックと豆のつる』は、どうせ知っている話ばかりだろうからと、読むのを後回しにしていました。


そして、読むものがなくなってから手に取って、びっくりしました。
なんというか、今どきのきれいごとの世界ではなく、生々しく、ということは生き生きとお話が踊っていたからです。


いつも、あとがきから読んだりするのですが、我慢我慢、全部読んでからあとがきを読んで、「なるほどね」とうなずかされました。

あとがきには、民話というものは、文字を持たず、語り継がれてきたものですが、それを文字にした人たちは、J.ジェイコブズ、木下順二を含めて、グリム兄弟なども、「民話に語られたものは何か?」という考察のもとに、当時の言葉でできるだけ語る、一般庶民の言葉で語る、ということを心がけてきた人たちであったと記されていました。


また木下順二は、日本の民話は、明治・大正期の「近代化」の中で、冷遇され歪曲され、次に来る戦争の時代の中でさらに歪曲され、「伝承文化」のもっとも弱い存在の一つであったゆえに、「生き生きとした肝心な部分が」が相当消されてしまったとも記しています。


J.ジェイコブスの『 イギリス民話集』(English Fairy Tales)は1890年から94年にかけて発表された古いものですが、言葉は(翻訳当時の現代語と)そう変わっていなかったそうです。
44編訳されていますが、それらは、ふしぎなはなし、おろかもののはなし、またまたおろかもののはなし、力だめしのはなし、だれでも知っているはなし、そのつぎにだれでも知っているはなし、またまたふしぎなはなし、という構成になっていました。

親もない貧乏な子どもが成功したり、ずるいやつがうまくやったり、おろか者がおろか者を笑ったりと、なかなか痛快です。


「三匹の子ぶたのはなし」でも、三番目の子ぶたが二匹の子ぶたを助けてめでたしめでたしとはならず、二匹は簡単に狼に食べられてしまうし、その狼も、改心して仲良く暮らしましたとさではなく、三番目の子ぶたにぐつぐつ煮て食べられてしまいますから、現在この本が発売されたとしたら、たちまち良識のある人々にクレームをつけられて、発売禁止になってしまったことでしょう。




2 件のコメント:

hiyoco さんのコメント...

線が素敵ですね!細長い三角(引っかいたような?)が多用されていますが、版画なのでしょうか?
タイトルは「豆の木」じゃなくて「豆のつる」なんですね。考えたら豆の木じゃ高く伸びなさそう。つるのほうがピッタリですね。

さんのコメント...

hiyocoさん
hiyocoさんちには、瀬川康男の絵がありませんか?版画じゃないと思います。線がきれいですよね。年とともに、もっと幻想的(もっと自由)になっています。
豆のつるに関しては、あとがきに「ふつう「豆の木」と訳されてきたものを「豆のつる」と訳したのは私の自然な感じ方によるものだが、この問題について柳田国男氏のおもしろい考察があることをのちに知った。興味のある方は参照されたい」とあり、柳田国男の著書『天の南瓜』が参考文献として載っていました。
確かにつるの方がぴったりです。ジャックは人食い鬼の奥さんに親切にされたのに、恩をあだで返し、鬼の宝物を何度も奪って、最後には鬼を殺し、お姫さまと結婚したりして、幸せに暮らしましたとさ(笑)。