6月26日、東京電力は定時株主総会を開き、株主から新潟県柏崎の刈羽原発の廃止提案が出されたものの否決されました。反対に、早く稼働して電気代を値下げして欲しいという株主の声もあったそうです。
刈羽原発は再稼働に備えた検査を6月中旬に終えましたが、地元の再稼働への同意を得る見通しは立っていません。大雪の際に事故があれば避難計画は機能しないという声がありますが、東電の小早川社長は、「安全確保を最優先に、一つ一つの取り組みを着実に実施する」と述べるばかりです。
福島第一原発では1号機から4号機までの廃炉作業を進めていますが、廃炉作業の要である燃料デブリの取り出しは、まったくできていません。
燃料デブリとは原発事故で溶け落ちた核燃料のこと、炉心融解(メルトダウン)が起きた1号機から3号機の燃料デブリは合計880トンあります。燃料デブリは極めて高い放射線を放つため人は近づけず、人に代わるロボットアームが開発されてきました。ところが、ロボットアームの開発は未だ成功せず、これまで燃料デブリをたったの耳かき1杯も取り出せていません。開発費に、国費78億円も投入してきたというのに。
こんなに危険で経済効果の低い原発なのに、「推進派」がなぜ存在しているのか、理解できません。最近、日本の科学技術論をけん引してきた科学史家の吉岡斉さんの残した膨大な「吉岡文章」の一部が公開されました(NHK ETV特集 拡張と忘却~理の人が見た原子力政策~)。
吉岡文章は、70年の歴史を持つ日本の原子力が、合理的な議論を尽くしてきたのかを問うています。日本の原子力政策が「政策合理性」に関して、
〇真摯かつ有能な判断に基づいて進められてきたとはどうしても思えない。
〇重要な意思決定がたいていの場合「利益政治」の枠組みの中で進められてきた。
〇たくさんがかかわって利権構造が出来上がっている。そこに毎年多額のお金が流れていく。
などなどと書かれています。
福島第一原発の燃料デブリを取り出すのに、当初暫定したのは40年ですが、すでにその3分の1の年月が過ぎたというのに、まったく取り出せていません。その傍ら、別の原子炉で使用済み核燃料は増え続けるものを、いったいどこに保管する(捨てる)と言うのでしょう?
なんだかんだと理由をつけて原発を推進する人、容認する人たちには、率先して自らの庭にそして自らの居間にも、使用済み核燃料を1袋ずつ引き受けて、置いていただくことにしたら、いかがなものでしょう?
人里離れた山奥に、ひそかに運んだりせずに。
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