2025年5月6日火曜日

風薫る5月

昨日は「子どもの日」でした。 


♪ 柱の傷は おととしの
 五月五日の 背くらべ
 ちまきたべたべ 兄さんが
 測ってくれた 背のたけ
 昨日くらべりゃ 何のこと
 やっと羽織の 紐のたけ♪

という童謡がなんとなく頭に浮かび、そういえば「やっと羽織の紐のたけ」とはいったいどのくらいの長さを指しているのだろうかと、ネット検索してみました。一昨年から2年経ってるとはいえ、羽織の紐の長さ分くらい背が伸びたなら大成長で、「やっと」ではないし、もし羽織の紐の幅だとすると成長が少なすぎます。
さすがネット時代、解説がありました。


この背くらべは
作詞が海野厚で、詩は1919年(大正8年)の雑誌『少女号』に掲載されました。『少女号』は、1916年(大正5年)12月に小学新報社より発刊された雑誌で、背くらべ、赤い靴、雀の学校など、多くの詩が『少女号』の誌上で発表されました。

大正なのに字が左から書いてあって斬新!

その詩に中山晋平によって曲がつけられ、
『子供たちの歌第3集』の中の1曲として発売されたのは、1923年(大正12年)のことでした。1923年といえば、
関東大震災の年であり、私の母が生まれた年でもありました。
この詩は、海野の17歳年下の末弟、春樹の視点から描いているもので、歌の中の「兄さん」が7人兄弟の長兄の海野自身です。柱の傷が「おととし」の傷なのは、「きょねん」は海野が東京にいて静岡県の実家に帰って来なかったので、弟の背丈を測ってやることができなかったからでした。
ここからが本題ですが、「やっと羽織の紐のたけ」は一昨年からの背丈の伸びが羽織の紐の長さと同じぐらいだとする説が有力(やっとじゃない、ずいぶん伸びた!)、そして、末弟の背丈が大学生の兄(海野)の羽織の紐を結んだ高さとする説もあるそうです。
海野は童謡作家として才能を認められていましたが、28歳の若さで肺結核で亡くなりました。

母が好きだった隅田の花火

さて、次の日曜日、5月11日は母の日です。
ラジオを聴いていたら、今年の母の日の贈りものとして、「お米」が目立つとのことでした。
「えっ?」
お米は必需品でありみんなで食べるもの、母にお米を贈るならなにも母の日のプレゼントにせずに、普通にさしあげたらいいでしょう!
かつて、実家の近所に、子どもの誕生日に服や下着などの必需品を贈っていたおばさんが住んでいたのを思い出してしまいました。 






3 件のコメント:

hiyoco さんのコメント...

歌詞や歌の本の絵から考えると、頭の高さが「羽織の紐の位置」という方がしっくりきます。すごく伸びたつもりでお兄ちゃんに背丈を測ってもらったけど、まだこれぐらいだな~と胸の前で手を当てているお兄ちゃんの姿が目に浮かびます。
それにしても春樹という名前が今っぽくてびっくりしました。

さんのコメント...

hiyocoさん
確かにこんな絵があったら、頭の高さが「羽織の紐の位置」だと思いますね。でも知らないで、長い間もやもやしていました(笑)。お兄ちゃんは東京の学校に行き、7人兄弟だったとはおそらく裕福な家庭だったのでしょう。名前は明治維新から50年も経っているから、末っ子だから捨吉とかじゃなくて、こんなもんだったんじゃないですか?(捨吉や留吉もけっこういたようだけど)
私の母方の祖父母は明治生まれでしたが麗しい友美と春江でした。もっとも父方の祖父母は寅二と石代でしたが(笑)。

さんのコメント...

hiyocoさん
祖父の名前は寅二ではなく寅治でした。私的事柄だけど、訂正しておきます(^^♪