2012年9月22日土曜日

どっこい生きてた


二階に本を探しに行って、部屋を横切ったら、目の端に入ったものがあります。ラタンの椅子でした。
あれっ、こんな大きな椅子が、いつも目にするところにあったというのに、「この手のスツールは 全部使いつぶした」と思っていたなんて。
かなり、注目度が低い証拠です。

タイのものです。
ごくごく一般的なスツールで、もう少し高さのあるもの、座面の小さいもの、雑につくってあるもの、品質はピンからキリまでいろいろありますが、これはわりと丁寧につくられている方です。
存在すら忘れられていましたが、30年ほど前、タイに住んでいたころ手に入れたものであることは確かです。


通常、底の部分はラタンが擦り切れやすいのですが、つくりがよくて、まだまだしっかりしています。


座り心地だって悪くありません。


素朴さにはちょっと欠けますが、二階から降ろして、もう一つの椅子と入れ替えました。
しばらく使ってみます。


2012年9月21日金曜日

手びねりセランゴール


なんとなく相性が悪いというか、他の地域ではそうでもないのに日本ではほとんど見かけないものがあります。錫合金のピューターもその一つでしょうか。日本のどこかのご家庭でピューターの食器を使っているのって、見たことがありません。アルミやステンレスはこんなに普及しているのに!

かくいう我が家にも、タイでにいたときにいただいたり、自分で買ったりしたピューターののマグカップがいくつかあったのに、あまり使わないままで、いつのまにか消えています。


錫生産国の一つマレーシアには、ロイアル・セランゴールという、ピューター製品の世界ブランドがあります。
そのセランゴールのフィギュアです。


骨董市でがんこさんの店に並んでいたので、すっとぼけた顔を見ていたら、
「セランゴールだよ。手びねりで、指紋ぺたぺただよ」
と、がんこさんが言うので、手に取ってみると、


なるほど、指紋の跡だらけでした。

同じものを量産するとなると、原型を粘土ではなく蜜蠟でつくったとしても、それをもとに型をつくって、その型を使ってつくらなくてはなりません。
手びねりのまま、土にくるんで  焼いて鋳込んだとしたら、たった一つできるだけです。
試作品か何かだったのでしょうか?


しかも、型でつくったセランゴールの四分の一ほどのお値段でした(がんこさんのお情けだけれど)。

それにしても、ピューターのフィギュアというのは、いい感じです。
ズシリと重いのに、まったりした、柔らかい手触り。つくった人ではないけれど、指紋をぺたぺたとつけたいような心地よさです。


家にいる鋳物の動物たちを、型でつくったものと手びねりのものに分けてみました。右が手びねり、左が型です。
手慣れた職人さんが多いインドやガーナでは、蜜蠟手びねりの方が簡単ですが、セランゴールのような会社組織の手びねりって、やっぱり珍しいのでしょうか?


もっとも、タイのアヘンの分銅の象の場合、「型でつくった後、合わせ目のバリも出るだろうに、こんなにつるつるにみがけるだろうか?」という疑問も残りますが、左の山羊を見ると背中にかすかに合わせ目らしいところが見えるので、やっぱり型だとは思います。

アヘンの分銅については、ほとんど知らないので、もう少し調べてみる必要があります。もしかしたらこれも、タイではなくビルマでつくられたものかもしれません。
アヘンの分銅の場合、鶏が一番有名なのですが、私的には鶏はあまり好きではありません。
一口にアヘンの分銅と言いますが、ビルマでは市場で野菜を売るにも、分銅として普通に使われていたそうです。


左のダヤンはアンチモンです。ピューターとアンチモン、なんだかお似合いです。

2012年9月20日木曜日

小さい独楽


ドイツのエルツ地方の木のおもちゃは、豪華なもの動くものいろいろあり、子どもだけでなく、大人をも魅了してやみません。

子どもたちが小さいころ、ときおり買ったエルツの木のおもちゃは、小さくてばらばらと散りやすく、なくしていないかいつも所在を確認したりしたものでした。

そんなエルツ地方の古い独楽。何せ小さいものだから見栄えはしません
一番大きいもので5センチほど、よく見えるメガネをかけないと、この顔も見えません。


女の子は、うまく回すのが難しいのですが、


兵隊さんはよく回ります。


これを見ていると、学生時代に集めていた釣り用浮きのことを思い出します。この独楽に大きさも形もちょっと似ています。
当時は、港町に行くことがあると、釣具屋さんを見つけて、木の浮きをさがしたものでした。

浮きは手元に全く残っていないところを見ると、いつか興味を失って、どこへともなく散っていったのでしょう。
日本の浮きも轆轤仕事で、彩色してあり、なかなか素敵なものでした。


2012年9月19日水曜日

ジョン万次郎


古い友人のAさんが、ブログで『ジョン万次郎』 (マーギー・プロイス著、金原瑞人訳、集英社)を紹介していて、おもしろそうなので、読んでみました。
ジョン万次郎の名前や、漂流して後に帰って来たことはもちろん知っていましたが、どんな人か、これまで興味をもったことがなかったのが残念なくらい、楽しめた本でした。

中学・高校の授業以来、近代史は、古代史や中世史ほどおもしろいものではありませんでした。
学年も終わりに近づいて、押せ押せになった授業に焦る先生の口から出る、たくさんの事象、年、固有名詞などを、何も考えずに詰め込む、というのが近代史だったような。

この歳になって、筧次郎さんの『自立社会への道』など、近代を考えるのに良い本の数々に出逢って、自分の中で初めて、近代というものがまとまった形をとってきて、腑に落ちているところです。
学校でも、近代史から中世史、そして古代史へと反対に教えたらいかがなものでしょう。

漁師の子ども万次郎は、14歳のとき嵐にあって、仲間四人とともに難破します。無人島生活も長くなり、いよいよ死に直面しはじめたところを、幸運にもアメリカの捕鯨船に救助されます。
利発で、いろいろなことに関心を持つ万次郎は船長に気に入られてアメリカへ。英語を習い、航海術を習い、しかし故郷に帰りたいという思いも強く、再び捕鯨船に乗って帰ることに失敗した後、西海岸へ金探しに出かけ、金をさがしあてて資金をつくり、最後は、親切に乗せてもらった中国行の船が日本に一番近いところを通ったとき、買っておいた小舟を洋上に降ろしてもらって、嵐の中、小舟を漕いで、オアフ島で探し出した難破したときの仲間とともに日本(沖縄)の岸にたどり着きます。
小説ですが多くの資料を使って、ほとんど史実に基づいて書かれています。

当時、外の世界を見た漂流者は、無事日本に帰りついてもスパイ視され、切り捨てられていましたが、万次郎の帰ったころは外が騒がしくなっていて、さすがにすぐ殺されませんでしたが、一年半も各地の牢に入れられ、牢はそんな漂流者でいっぱいでした。
その囚われていた期間を利用して、万次郎は日本語の読み書きを、初めて習います。

ジョン万次郎の好奇心と洞察力、ここぞというときの決断力。決して的を外さず、そのときそのときを精いっぱい生きる姿勢が、次の展開へとつながっていきます。

1853年、黒船がやってきたとき、万次郎は、日本人でたったひとりだけ英語の読み書きができ、世界地図や世界海図を頭に入れた、フィリピンなどアメリカ以外の地域も自分の目で見た、そしてなにより、アメリカの心を理解する国際人でした。
もし、ジョン万次郎がいなかったら、日本は開国の過程をたぶん誤って、もっと悪い方向に行っていたのではないかと、背筋が寒くなるほどです。


こちらがその元の本、『HEART of a SAMURAI』です。
児童文学者であり劇作家であるMargi Preusの初めての小説は、数々の児童文学賞を受けたようでした。
私の読書は、横になってから寝る前に読むだけですが、こちらも少しずつ楽しんでいます。

この本の中にある日本語の解説で、「いただきます」があまりにも的確に説明されていて驚きました。「いただきます」、「ごちそうさま」は、日本語の中で、もっとも意味深い、誇るべき美しい言葉ですが、最近、
「うちでは給食費を払っているのだから、給食のとき、子どもに「いただきます」、「ごちそうさま」と言わせないで欲しい」
と、お母さんが学校にねじ込んだという話を聞いて、唖然としたばかりだったので、なおさら身に染みました。



2012年9月18日火曜日

薬ビン


骨董市にさわださんが店を出している日には、犬のミルキーにあいさつします。
ミルキーは三歳の若さで椎間板ヘルニアになり、神経が数日間圧迫されたために、下半身不随になりました。
以後、自力でおしっこもできないので、どこにでもさわださんと一緒に行きます。
 
ミルキーと遊んでいると、
「小さいビンどう?エンボスも入っているよ」
とさわださん。
「染め粉のビン?それとも食紅?」
「なんだろう?」

目が悪くなっている私に見えないのは当然として、もしかして若いさわださんも老眼が進んでいるのでしょうか?
帰ってよく見えるメガネをかけて見たら、薬ビンでした。


「この薬ビンもどう?肩が直線なんてめったにないでしょう」
「曇っているけど、洗ったらきれいになるかなぁ?」
「さあ、なると思うけどね」

さわださんのビンは、たいていきれいに洗われています。夜はビン洗いで大変と聞きましたが、洗いたくない日だってあることでしょう。

「軟膏入れも持ってく?これは、洗ったらきれいになるよ」
最近洗う暇がないのでしょうか。蓋を開けてみたら、まだ軟膏が入っていました。
「あれっ、入っていたか。このままだと300円、洗ったら500円」
「あはは、このままでいい」

 
以前、さわださんがデッドストックの軟膏のビンをたくさん持ってきたとき、
「十人に一人くらい、中身が入っている方がいいって人がいるんだよね」
と言って、ほとんどきれいにしたものの中に、軟膏入りのビンが、少し残してありました。私は勿論中身のない、ビンに気泡や色むらがあるものをいただいてきました。
もっとも、箱や効能書きが揃っていると、ビンだけ別にするわけにもいかず、箱に入れっぱなしで、なかなかビンとして楽しめません。


何十個も洗うなんてたいへんですが、一つならお安いご用です。
まず軟膏を全部きれいに拭き取って捨て、


使い古しの歯ブラシでごしごし洗ったら、 すっかりきれいになりました。


ビンの下の方にぐるりとエンボスがあり、ビンにも蓋にも、「順天堂医院薬室」と書いてありました。
ビンには右から、蓋には左から書いてあります。ビンは戦前の型を使って、蓋だけ戦後新しくしたのでしょうか?


曇っていた大きい方の薬ビンも、クレンザーで洗ったら曇りが取れました。
「五ノ井醫院」。
 

そして、小さ過ぎて読めなかったビンには、「周行病院」と書いてありました。


あぁ~あ。
さわださんの口車に(喜んで)乗って、また、不必要なものがごちゃごちゃと増えてしまいました。
後ろは安っぽいカエルの笛と、安っぽいキューピーの笛です。

2012年9月17日月曜日

ラタンの椅子

遭難して無人島にいたジョン万次郎たちがアメリカの捕鯨帆船に助けられ、初めて船内の椅子の座らされたとき、足が床に届かず、ぶらぶらして落ち着かず、拷問に違いないと思ったそうです。

確かに、アジアやアフリカでは、椅子で権力を象徴しようと考えた一部の人の玉座を除いて、かつては床に座るか、とっても背の低い椅子が愛用されてきました。

小さいころ、薪でお風呂を温めるのは子どもの役割でしたが、 かまどの前に置いた低い椅子に座って火の番をするのは、とくに寒い時期には好きな仕事でした。
二方を壁に囲まれ、前には火が燃えている暖かい場所で、揺れる火を見つめながら、ぼんやり考えごとをする。今思えば、至福の時間でした。

タイやカンボジアの市場の中や、道端の食堂では、いまでは普通の高さの椅子が当たり前ですが、食べ物によっては、必ず低い椅子の座って食べるもの(たとえば、タイのカノム・チン)もあります。
遠くから椅子を見て料理がわかるなんて、なんだかおもしろいことです。


山岳民族、アカ人の椅子(スツール)です。
こんな感じのラタンの椅子は、インド、タイなどにいろいろあります。
床につくところまでラタンや草を巻いてあるものがほとんどですが、長持ちしません。家にもいくつかありましたが、床につく部分が切れて、解けて、始末に負えなくなってしまうからです。

でも、座面だけラタンを編んだこの椅子は、擦り切れることもなく、ずいぶん長持ちしています。


上の輪と下の輪をつないでいる材料は、表から見ると、ラタンか竹かちょっとわかりにくいのですが、


裏から見ると、竹に見えます。

東南アジアには、肉厚の竹、中が空洞になっていない竹もありますが、中が空洞になったラタンは、確かなかったような気がします。


もちろん、足の、輪になった部分はラタンです。


椅子の座には、このようにラタンを張ります(『Peoples of the Golden Triangle』より)。


それにしても、網代編みは、平編みに比べてしっかりと丈夫に締まります。竹を壁材として編むときも網代編みです。

織物の場合、平織りに対して、網代織りではなく綾織りと言いますが、やはり糸がしっかり締まり、密になるので、浴衣など夏の涼しさを求める布には風を通す平織りの布を、冬のコートなどには目の詰んだツイードなど、綾織りの布を使います。



2012年9月16日日曜日

カーペンターベンチ


二階お手洗いの扉を、あせらず、のんびりと製作中です。
縦枠と横枠の交わるところは、ほぞ切りをします。
ほぞ穴はほぞ切り機で開けて、



ほぞは、テーブルソーに、ほぞ切り用アタッチメントを装備して切ります。
日頃は、
「機械が人間の能力を低下させた」
などと、偉そうなことを言っていますが、こんなときは一も二もなく機械に頼ります。

十二ミリのほぞにすると決めたら、厚過ぎも薄過ぎもしないでつくれるのですから、もう、機械さまさまです。


といっても、長手の方に関しては、アタッチメントが使えない幅なので、手でノミを使って落とします。
そんなとき役に立つのがこの作業台、カーペンターベンチです。

これは、1960年代末にガーナにいたとき、夫の同僚であり、仲良しだった、ノルウェー人のクリスティアンが、当時はまだふんだんにあったガーナの堅い木で試作したものです。
ノルウェーでは一般的なデザインかもしれませんが、機能と言い、デザインと言い、私たち夫婦がそれまで見たことのない、素晴らしい作業台でした。

すっかり気に入り、一台つくってもらって、日本に持って帰りました。 まだ若くて、帰ってからどんな生活を送るのか、何もかも不確定だったのですが。


大きな万力が二つもついている、二人でやっと動かせるような、重くて立派なカーペンターベンチですが、もし都会生活を送るなら、不要どころか邪魔ものだったでしょう。
東京郊外に住んでいたときに使ったこともありましたが、長く分解したままで、場所を取っていました。


それが、結局は大いに役立っているのですから、不思議なものです。

もっともそのまま使うには、背が高すぎて不便だったので、ここに来てから、脚を20センチくらい切り詰めて、やっと使いやすくなりました。
そういえば、クリスティアンも背が高く、190センチくらいありました。

 

使っていると言っても、お恥ずかしい、ビニールハウスの架設作業場の中で、いつもは半分物置状態です。
それでも、役に立つときは役に立つ、頼もしい道具です。